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古典文学

狂詩集コレクション

投稿日時:2014/05/09(金) 08:53

新収 狂詩集コレクション
文学部教授 鈴木 俊幸  この度中央大学図書館で狂詩集69点78冊(狂文集 5点5冊を含む)を購入した。斎田作楽編『狂詩書目』 (1999年、青裳堂書店)は、編者積年の収集データ に基づく労作で、現在もっとも充実した書目である (本稿も大いに参照した)。ここには128点が著録さ れていて、この数字は今後動く可能性が少ないと思 われるが、本コレクションはこの約半数を網羅して いる。本コレクションの意義と特色は、狂詩という 文芸、また狂詩集という書籍の歴史を概観しうる網 羅性にある。全てに言及はできないが、狂詩という ジャンルの流れを追いながら紹介していきたい。な お書名を挙げたものは全て今回収蔵のものである。 ■■二大家による風雅  本歌に対して狂歌、正格の漢詩に対して狂詩が ある。正格を外した戯れの詩作は、古来より珍しく はない。しかし、文芸様式の一つとして定着するに は寝惚先生と銅脈先生の登場を待たなくてはならな かった。  『寝惚先生文集 初編』は、寝惚先生こと大田南 畝の第一狂詩集で、南畝19歳の明和4年の刊行であ る。作中、世相を切取り人心を風刺する鋭い言葉は、 南畝の天才と、戯作の時代の風を感じさせる。折し も、遊里等の風俗に取材した漢文体の戯文などが徂 徠学の徒の間で流行しはじめ、洒落本はじめ、さま ざまな戯作や戯作的試みが始まる時期である。たと えば、同年釈大我『春遊興』は、小唄の漢詩訳とい う遊びである。   竹にすゝめはしなよくとまる     とめてとまらぬ我おもひといふを訳す   雀躍テ脩竹ニ遊フ   梟然トシテ美風有リ   吾人常ニ止ント欲シテ 思念更ニ窮リ無シ  このような時代の空気の中に南畝の狂詩もあっ たのであるが、この狂詩集は、その評判の力によっ て、戯れの詩文の公刊という遊びを流行させる端緒 となったのである。南畝と旧知の平秩東作の『辛野 茗談』に「ことの外人の意にかなひて、追々同案の 狂詩出たり」とあるように、本書の好評が後続作品 の叢生を促し、狂詩集がジャンルとして固定してい く。好評であった本書は再版が繰り返されており、 諸種の版本が残っている。ちなみに今回購入のもの は再刻本である。  京の銅脈先生は南畝より2歳下、狂詩の技量のほ どはすでに有名であった。先の南畝の第一狂詩集が 出るや、『太平楽府』をもって応ずる。明和6年の この集も評判を呼び、3種の版を確認できる(新収 本に2種あり)。またそれぞれ長期にわたって摺ら れたゆえに、さまざまな形態のものがある。  この東西二人による応酬は、狂詩流行を主導し、 明和・安永期、『娯息斎詩文集』(明和7年、ただし 新収本は再刻本)、『片低先生詩集』(同8年、改題 後印本に『新編太平楽府』あり)などの同種の狂詩 集の続作を促した。また、謡曲の曲名を題にした鏡 間外史『諷題三咏』(同8年刊)や、芝居に取材し た青田先生『戯場篇』(同9年)など、一趣向凝ら したものも出版されていく。  『毛護夢先生紀行』(明和8年)、『勢多唐巴詩』 (同年)、『銅脈先生太平遺響』(安永7年)、『銅脈 先生狂詩画譜』(天明6年)、『太平遺響二編』(寛政 12年)等、銅脈は精力的に自作の出版を行い、その 文名を轟かす。『物沢楼詩集』(安永8年)は、『銅 脈先生太平遺響』の江戸で出版された改竄本で、銅 脈の才と、このようなインチキが商売になるような 狂詩人気とがうかがえる。なお、『勢多唐巴詩』は、 最近蕪村による見返口絵(表紙)の版木が、その版 『文政御蔭参詣詩』とその書袋 『狂詩変』挿絵 『江戸名物詩初編』3 元であった竹苞楼から見付かって新聞記事(9月21 日朝日新聞朝刊)になったものである。  一方南畝は、安永期より流行し始める狂歌の世界 の中心人物として江戸人の注目を集めるほか、洒落 本などの戯作にも滑稽の才を発揮していく。銅脈ほ ど多くの狂詩集を出版していないが、天明期に入っ て『檀那山人芸舎集』(天明4年、新収本は文化12 年補刻後印本)や、「唐詩選」とその注釈書のパロディ である『通詩選』(天明四年)や『通詩選諺解』(同 7年)など、南畝らしい明るく機知的な狂詩集を著 している。 ■■その後の展開  寛政から文化にかけては、狂詩集の出版が少ない。 寛政9年刊『語句通風詩』や享和3年『青物詩選』(新 収本は後修改題本『青物楽府』)、「忠臣蔵」に取材 した『忠詩選諺解』(文化2年)や、青木鼻垂先生『同 楽詩鈔』(同10年)くらいのものである。生酔山人 の『狂詩語』『狂詩礎』(文化10年)は、漢詩作法書 のパロディであり、用語を羅列しただけのものでは あるが、実際的な狂詩作法書でもある。  文政期になると、安穴先生や愚仏先生など、この 道の達者が多数現れて、賑やかな状況が出来する。 安穴先生社中による、文政2年『太平新曲』、同3 年『太平二曲』、同4年『太平三曲』の続作があり、 愚仏先生には、文政3年『続太平楽府』、同5年『鈍 狗斎新篇』(改題本『太平新詠』あり)、同6年『太 平文集』、同7年『続太平文集』、同10年『太平詩集』、 同11年『太平風雅』など諸作がある。  銅脈の『勢多唐巴詩』はお蔭参りをテーマにし た一集であったが、文政13年春より大流行のお蔭参 りに取材した狂詩集が同年に二点刊行されている。 ひとつは『文政御蔭参詣詩』である。新収本は、原 装で書袋も残っている優品である。もう一点は天竺 朗人作『狂詩変』で、「伊勢山田米堂彫刻」と刊記 にあるように伊勢の出版物である。柄杓で施行銭を 受取る抜参りの少年を魁星印に描くなど、細部にわ たって造本に趣向を凝らしているほか、大胆な筆致 の挿絵も面白い。  また、仰山先生『天保山百首』(天保6年)は、 天保2年にできた「新米ノ名所川口ノ山」である天 保山遊歴の狂詩からなる変わり種である。  『唐金義宝詩』(文政2年)は京都の市中風俗を 活写したものであったが、方外道人『江戸名物詩初 編』(天保7年)は、江戸の誇るべき名物や名店を 挿絵を豊富に用いて詠じ上げたものである。巻頭の 「越後屋呉服」という詩を紹介する。   両側一町三井ガ店(たな)      小僧判取リ帳場遥(はるか)ナリ   半時ノ商内何千貫 知ル是レ繁昌江戸ノ花  このような平易かつ温和な詠みぶりによる江戸讃 美は時人の心を捉えたらしく、本書には色摺り挿絵 を持つ初印に近いものから、『江戸名物狂詩選』と いう改題本まで、さまざまな版種を確認できる。狂 詩という文芸は、漢文リテラシーの底上げとともに 一般に広がり、流行の大きな潮流は近代に及んでい く。 ■■明治の狂詩集  このコレクションの誇るべき特色として、明治期 のものの充実がある。幕末における流行に輪をかけ て、市中風俗を鋭く描く狂詩集の出版は明治に数多 い。『日本開化詩』(同9年)や『明治太平楽府 初 ~四編』(明治13~14年)など、開化の風俗は格好 の取材対象となったのである。この文芸がその始ま りより持ち合わせる舌鋒鋭いうがちは開化の明るい 空気だけではなく、その歪みも容赦無くえぐりだす。 また明治期の流行は、この時期の漢文流行と無縁で はない。明治10年代の開版点数は、近世における頻 度をはるかに凌駕している。近世後期において作詩 手引きの重宝として版を重ねた『詩語砕金』は明治 になってもその価値を減ずることはなかったと思わ れる。この書名をもじった真木幹之助著『狂詩語砕 金』(明治17年)は、「詩作平仄式」を最初に据えた あと、作例を示し、そこに使われている語句の平仄 を示している。狂詩作りの基礎的知識と技法が示さ れる一方、作例は明治という時代を鋭く切るものが 多い。「代言人」と題する一首を紹介して筆をとど めよう。   僅ニ数篇ノ法律書ヲ読ミ     代言ノ看板門ニ掲ゲテ居ル   漫ニ鷺ヲ化シテ鴉ト為スノ弁ヲ將テ     三百論ジ来ル八百ノ嘘 明治期の狂詩集4
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