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古典文学

お稽古「江戸の妖怪・化物」アダム・カバット

投稿日時:2014/05/10(土) 00:57

http://www.wajuku.jp/index.php/archives/6601 より

和塾通信
第九十九回「い組」お稽古「江戸の妖怪・化物」アダム・カバット
第九十九回「い組」お稽古「江戸の妖怪・化物」アダム・カバット
8月 14th, 2012「和」をたしなむ, お稽古[い組]sewanin_nio 0 Comments
日時:2012年8月14日(水)19:00開塾
会場:グランドプリンスホテル新高輪 秀明
講師:アダム・カバット

Text by : Fabienne


 お盆の時期に合わせて、今日はニューヨーク出身の文学専門家アダム・カバット先生が江戸時代の妖怪のお話をしてくださいました。しかし、皆様がイメージする怖い妖怪のお話ではなく、かわいらしい化け物のお話でした。
 先生は江戸時代の民衆文学である草双紙に登場する妖怪を研究しておられ、その中からいくつかのかわいらしい妖怪を紹介してくれました。草双紙は200年前に盛んに出版されましたが、今でいう漫画のようなもので、文章と絵が一緒になっています。そこに登場する妖怪や化け物は、怖いものもいますが、どちらかというとかわいらしいものが多いのです。なぜ化け物がかわいらしいかというのは今回のお話のテーマの一つでした。

 かわいらしいお化けについての話しの前に、なぜ先生が妖怪に興味を持ち始めたのか、気になりますね。
 先生は始めて1979年に来日、日本に住んで、すでに30年以上経ちます。大学生の頃、住んでいた安いアパートのすぐ隣にお寿司屋さんがあって、毎日のように通うようになったと話します。ベジタリアンでしたので、いつもかっぱ巻きばっかりを頼み、板前さんからすればきっと迷惑なお客でした。文学が専門なので、ある日、なぜかっぱ巻きは「かっぱ巻き」というのかを疑問に思うようになりました。板前さんに質問すると、「河童はキュウリを食べるから。河童の好物ですよ。」と教えてもらったそうです。また、よくテレビ宣伝に流れていた「かっぱえびせん」という言葉も自然に覚えて、辞書で引いたりすることもしましたが、「かっぱえびせん」という単語は出てこなかったとのことです。何年後かに分かったことは、カルビーの社長が河童が大好きで、自分の商品にどうしても「かっぱ」という言葉を付けたかったとのこと。そこで、河童がまだ現代の日本の日常生活でいろんなところに顔を出し、存在することに気づかれました。なぜまだ河童が人々の間に生き続いていられるのかというのは先生の研究の出発点となりました。

 江戸時代に遡って、草双紙や浮世絵にはよく河童が描かれています。初めに、先生に河童がキュウリを盗むところの絵を見せていただきました。しかし、先生は「実は、河童はキュウリだけではなく、別のものもよく食べてますよ。それは河童に詳しい人しか知らないが、それは尻子玉というもの。尻子玉は人間の内臓の一部とされていて、肝臓のようなもの」。なぜ「尻子玉」なのかというと、先生が草双紙の絵で証明してくれました。河童は人間の尻の中に手を入れて、そこから尻子玉を抜くところの絵を紹介してくれました。尻子玉を抜く、または抜かれる瞬間の絵は一枚しかなく、それを和塾の受講者が興味深く見つめていた。その尻子玉が抜かれると、一体何が起きるのか?たいていの人は死んでしまうようです。(非常に強い人間は気絶程度で済みます。)


 そのお話はどこに由来しているのかも、興味深いところです。ただの考えたお話ではないようです。昔は、人がよく川でおぼれました。おぼれた人間の尻が膨らんでしまうという科学的な事実がありますが、「ああ、これが河童の仕業だ」とするようになり、おばあちゃん等が、子供に「川の近くに遊ぶな、尻子玉を取られるよ」、と注意するようになったのだと考えます。また、先生は尻子玉はどういった形しているのかすごく興味があったので、この絵を発見したとき、とても喜んだそうです。抜きたての尻子玉は河童にとってもとても臭いようです。こちらの絵の中で河童が手に持っていますが、どういった形をしているのかよく分かります。
 次に、歌川広重の「雨の両国橋」の見立ての浮世絵も見せていただきました。

川に落ちてしまった雷神が河童にお尻を狙われ、必死に逃げようとしている場面。実は、非常にうまい逃げ方をしています。河童の屁は非常に臭く、あまりにもくさくて死ぬ場合もあるようです。ここでは、雷神が同じ手段で(屁をして)逆襲しています。河童がお尻を狙うことというイメージが定着していたことがよく分かります。

 一方、現代の河童のイメージは少し違うかもしれません。もっと和やかで、かわいい河童。
河童の新しいイメージは戦後の昭和28年に週刊朝日に掲載される「かっぱ天国」という漫画に始まります。

初の女性河童も登場し、新しい河童像が生まれます。パーマなどそれぞれの時代の流行を取り入れています。その時代のおしゃれな河童が登場します。新しい河童像ですが、元々の河童の特徴を残しているのが興味深い。たまに頭に皿があり、背中に甲羅があって、水かきがあって、くちばしみたいなものがあって...こういった特徴を描けば、誰でも、河童だとわかります。キャラクター商品の基本ではないかと先生は考えています。

江戸時代、そして現代において、どういったものがキャラクターになっているか?必要な条件は?それは以下の6点であると先生は発見しました。
? 形は単純で分かりやすい
? トレードマーク(TM)がある(河童の場合、頭の上の皿、見てすぐわかるようなもの)
? バリェション無限である。
? デフォルメ化だが、誰でも愛着がある
? 身近存在で、誰でも親しみやすい。庶民的。
? 伝統と新しさが一緒になる。

その例として「豆腐小僧」という妖怪が上げられます。
以下の豆腐小僧の絵は江戸時代に非常に流行った時期がありました。

子供のお化けで、傘を被り、常に豆腐を持つ、非常にかわいらしいお化け。その豆腐には紅葉のマークがあり、形は単純でわかりやすい。豆腐がTMとなっています。同時に様々なバリエーションを造ることはできます。豆腐は身近なものであり、親しみやすい存在。ここでは、伝統と新しさが一緒になっています。小僧は伝統的でありつつも、昔の伝説にでてこない、江戸時代に作られた新しいキャラクターなのです。豆腐小僧は、売り物として作られた妖怪でした。あまりにも怖すぎるものは人間に受け入れないので、江戸時代には、可愛い化け物が流行りました。豆腐小僧は4才くらいの子供で、よく豆腐を落とすという、ちょっと間抜けなところがある存在でした。怖い妖怪より笑わせる妖怪であったようです。
18世紀の江戸に豆腐ブームがあり、200軒くらいの豆腐屋がありました。不思議な子供が豆腐を売りに行ったのが豆腐小僧の始まりかもしれないと先生がおっしゃていました。原点は都市で、都市の文化から生まれた妖怪。意図的に商品のために造られたもの、この意味で現代的な妖怪です。実際に、特に吉原の豆腐に紅葉のマークがついてたのですが、「豆腐を紅葉(かうよう)に」→「豆腐を買うように」というメッセージとなっていました。なるほど。


草双紙


 草双紙は時代と共に内容が変わります。最初は18世紀前半の赤本で、表紙は赤かった。次は黒本。赤本と黒本はどちらかというと子供向けの絵本。黄表紙の時代に1785・1806年。この中には特に化け物がでてくる。黄表紙は大人のための漫画。当時の生活を反映しています。どういうものかというと、江戸っ子の粋な生活、江戸っ子のおしゃれさが強調されています。そのままではなく、笑いの形に作り直しています。見立て。パロディー。当時の生活を笑いの対象にしていますが、舞台としては吉原の遊郭の場合が多いようです。どうして化け物が登場するのか?



 「野暮と化け物は箱根より先」ということわざがあります。江戸の文化は新しく、箱根を越えれば江戸文化ではなくなると考えられており、都会人が田舎者を見下しているというニュアンスが入っているようです。化け物が野暮な存在になります。民頌伝承の中には元々お化けが怖い存在だったのですが、次第に商品化されて、野暮を象徴し、格好悪く、住む場所は江戸ではなく、箱根より先。その野暮とお化けが粋な江戸っ子に憧れる。自分が格好悪いという意識を持って人間のように格好良くなりたい。その化け物が失敗する。それこそが人間的。その失敗がお化け物のかわいいところ。人間の生活を真似て笑いの対象になる。違和感を感じて、お笑いをまねる。人間臭い化け物は我々現代人に多く通用するところがあります。江戸時代のお化けの仕事や恋愛の悩み、価値観などは現代人と全く同じで、我々が共感できるところがたくさんある。

 また、別の話で、小人の化け物が日本の大きい化け物に化け方を教えてもらうために日本に旅立ちます。しかし、大きな化け物は誰も化け方を教えてくれません。小人の化け物は日本に来たついでに観光もしてしまいます。花見をしたり、富士山に行ったりして。人間の江戸っ子に見つかってしまうのですが、怖がられるのではなく、「かわいい」と言われ遊ばれてしまうのです。やっぱりだめだ、とあきらめてしまい小人の化け物は国に帰ってしまいます。小さい化け物が大きい化け物、人間にばかにされ、見下されるところが面白くなっています。
 
 今日の可愛い化け物のお話を通じて、江戸時代の日本人でも、現代の日本人と同じようにユーモアな話が好きで、そのユーモアを見立てで表すことが非常に好まれます。また、日本人がかわいいものが好きなので、可愛い化け物を登場させることによって、お話をとても受け入れやすくします。それに、現代社会におけるかわいいキャラクターがTMとして使われると同じように江戸時代にもかわいい妖怪が使用されたことが興味深かったです。一番驚いたのは、黄表紙は今の本と異なってすべてがお正月に刊行される決まりがあるということで、おめでたいものでした。親がお年玉の代わりによく子供のために買ってあげたりしたそうです。つまり、縁起もので、どんな変な話でも「おめでたし、おめでたし」で終わます。今はお盆の時期に化け物を連想するかと思いますが、江戸時代はお正月が化け物の季節でした。化け物が新年の挨拶をすると「化けましておめでとうございます。」といいます。その意味では、「かわいい化け物のお話」は日本文化における重要な役割を果たすことがわかりました。
タグ:アダム・カバット, 化物, 妖怪
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