古典文学
日本における中国白話小説の受容
投稿日時:2014/05/09(金) 09:34
日本における中国白話小説の受容
日本に影響した中国文学といえば、「敦煌変文」がその起源と言われる「白話小説」が思い当たる。白話小説とは、いわゆる中国通俗文学のこと。「三国演義」、「水滸伝」、「西遊記」、「金瓶梅」など、有名なものは全てこのジャンルに属する。(管理人はこれらの作品が全て好きvvV)このページでは、日本文学への“白話小説”の影響を取り上げてみようと思う。
白話小説が日本でも読まれるようになるのは、江戸時代中期ごろだ。そこで、まずは中国思想と江戸時代の日本思想の関係を、“古文辞学派”の始祖である荻生徂徠にまで遡って見てみることにしよう。
荻生徂徠は、性即理(格物窮理)の朱子学を“内面の心理はおろか現実さえ包括できないものだ”と批判して、彼独自の実際的道徳論と経世論を説いた。そこでは、思想の規範を朱子学のように道徳・性理には求めずに、古代の聖人たちが陶冶した礼楽刑政を規範とし(とりわけ論語の影響を強く受ける)、これを「道」とよんだ。この「道」を押し出す徂徠の擬古主義的な見方が、江戸文学に「義理人情」を追いかけさせることになったのである。聖人の道とは人情に適ったものと解釈されたからだ。“聖人の人情”というのは、甚だ理解しにくいもののようだが(中国的であって、半ば日本的なのだ)、これは当時の見方からすれば、唐詩に表現されているような、不遇の自己を越えて高い格調でもって世界を表現し続けるような、そんな立場を指していたのだろう。 ところが、不遇の自己を越えて格調に走るという立場とはいささか違って、そうした自分をつくった社会を憤激し、風刺する立場というものも有り得たのである。これが京儒や上方の文人たちにしばしば典型した「狂者の意識」というもので(上田秋成も晩年の自分を「狂蕩」とよぶ)、この反徂徠学ともいうべき動向が陽明学をとりこみ、特に当時の文人たちを『水滸伝』などに流れる反逆の思想に傾倒させた。ここにおいて江戸文芸は、徂徠の思想よりも上方ふうの狂文狂詩を巧みに獲得する方へと流れていった。そして、銅脈先生こと畠中観斎や寝惚先生こと太田南畝を、さらには来山人こと平賀源内などを輩出することになった。これが“穿ち”の登場である。そうして“穿ち”はやがて「通」になっていく。
さてこの時期、こちらもやはり荻生徂徠を源流として、中国の白話小説が日本に流れこんできた。荻生徂徠の学派は「論語の教えを直に知るべし」ということで中国語習得を推奨した為、知識人の間で唐和学が盛んになる。知識人たちによる唐話学の学習は、その教科書として使用された白話小説を流行らせることになるのだ。当時の書籍目録「新増書籍目録」を見てみると、1764年(宝暦4年)初出の“小説”というジャンルが白話文学に相当するわけだが、ここでは白話文学が漢文で書かれているという理由から、いわゆる「真面目な本」の系統に分類されているのが興味深い。そして、この漢文の白話は、日本に無いストーリーの面白さを買われて、読本として和語に翻訳翻案(=日本を舞台に作り変えること)されるようになる。まず、長崎の唐通詞・岡島冠山(=荻生徂徠の師匠)や岡白駒らが出て白話小説の翻訳・翻案を試み、『水滸伝』の新解釈を生む。それまでは反権力的な部分が切り捨てられて紹介されていた『水滸伝』は、日本に入ってきた李卓吾の解釈に随った新しい翻案のスタイルに切り替えられたのだ。そしてその形式は建部綾足の『本朝水滸伝』において結実した。そして建部綾足は次いで『西山物語』を発表した。この手法を継承した者に、かの上田秋成がいる。 上田秋成は享保期の大坂に生まれた。代表作『雨月物語』の裏には、『水滸伝』があると言われている。このことには都賀庭鐘(つがていしょう)なる人物の影響が濃い。都賀庭鐘は医術に明るい大坂の人で、その一方で中国語も堪能であり、白話小説の翻案を20~30篇も書いたという。また彼は『英草紙』『繁野話』という読本の先駆的作品を書いた文章家でもあった。『英草紙』は“奇談”というジャンルをベースに据えて白話小説の翻案をミックスした作品で、“茶話+志”という精神圏をも意識した視点で新文体の創造を試みた。『英草紙』の内容の方を少し紹介しておくとしよう。第一話は「後醍醐の帝三たび藤房の諫めを折く話」といい、これは白話小説集『警世通言』所収の「王安石三難蘇学士」の翻案である。翻案の方法としては、時代を『太平記』の世界へと置き換えてある。人物は荊公を後醍醐天皇に、そして蘇東坡を万里小路藤房に置き換えてある。結末部分は、原話においては王安石の博識ぶりを賞賛する印象が強いが、都賀のほうはむしろ才知に驕る天皇像が批判的に描かれている。将軍綱吉を風刺しているという説もあるくらいだ。隠遁する藤房=隠逸思想こそが都賀の歴史観であると見てよいだろう。このような歴史上の人物に評価を語らせるという姿勢は、のちの上田秋成や読本へと引き継がれることになる。
さて、都賀庭鐘に次いで建部綾足が『西山物語』を発表する。彼の作品に上田秋成は大いにインスパイヤされたという。こうして秋成は、中国の白話小説を片っ端から渉猟したという。『雨月物語』という作品は、その趣向を巧みに日本の舞台に移したものだが、むろん単に換骨奪胎をしたわけではない。都賀などの作品に残存していた談義本臭さ(=教訓を平易に説く)を完全に消し去り、“循環する物語”という形式をその文章構成において実現しているのだ。 しかし、最後に注意しておきたいのは、中国白話小説から日本の“読本”というジャンルが生まれたのではないということだ。日本の文学に“読本”というジャンルの流れがもとからあり、その中に白話小説に大いに影響を受けた作品が出現した、ということなのだ。
以上が、今回調べたことである。江戸時代にこんなにも中国通俗文学がブームになっていたとは、あまり知らなかった。このように調べてみて、日本文学への白話小説の影響の大きいことには驚いた。
<参考文献>
◆「新日本古典文学全集巻78」(小学館、1995年)
英草紙 / [都賀庭鐘著] ; 中村幸彦校注・訳
西山物語 / [建部綾足著] ; 高田衛校注・訳
雨月物語 / [上田秋成著] ; 高田衛校注・訳
春雨物語 / [上田秋成著] ; 中村博保校注・訳
◆「日本思想体系36―荻生徂徠―」吉川幸次郎著(岩波書店、1973年)
◆「日本古典文学大系94―近世文学論集」(岩波書店、1966年)
徂徠先生答問書(抄) / [荻生徂徠著] ; 中村幸彦校・注
◆「明和九年刊書籍目録所載「奇談」書の研究 」 飯倉洋一ほか著
(大阪大学文学部研究課、2002年)
「西遊記とかが好きだから…」って理由で、ここまで調べちゃいました♪こんな面白くも無い論文を最後まで読んでくださった方なんて、果たして何人いなさるのでしょうか??とりあえず、有り難う御座いました♪
日本に影響した中国文学といえば、「敦煌変文」がその起源と言われる「白話小説」が思い当たる。白話小説とは、いわゆる中国通俗文学のこと。「三国演義」、「水滸伝」、「西遊記」、「金瓶梅」など、有名なものは全てこのジャンルに属する。(管理人はこれらの作品が全て好きvvV)このページでは、日本文学への“白話小説”の影響を取り上げてみようと思う。
白話小説が日本でも読まれるようになるのは、江戸時代中期ごろだ。そこで、まずは中国思想と江戸時代の日本思想の関係を、“古文辞学派”の始祖である荻生徂徠にまで遡って見てみることにしよう。
荻生徂徠は、性即理(格物窮理)の朱子学を“内面の心理はおろか現実さえ包括できないものだ”と批判して、彼独自の実際的道徳論と経世論を説いた。そこでは、思想の規範を朱子学のように道徳・性理には求めずに、古代の聖人たちが陶冶した礼楽刑政を規範とし(とりわけ論語の影響を強く受ける)、これを「道」とよんだ。この「道」を押し出す徂徠の擬古主義的な見方が、江戸文学に「義理人情」を追いかけさせることになったのである。聖人の道とは人情に適ったものと解釈されたからだ。“聖人の人情”というのは、甚だ理解しにくいもののようだが(中国的であって、半ば日本的なのだ)、これは当時の見方からすれば、唐詩に表現されているような、不遇の自己を越えて高い格調でもって世界を表現し続けるような、そんな立場を指していたのだろう。 ところが、不遇の自己を越えて格調に走るという立場とはいささか違って、そうした自分をつくった社会を憤激し、風刺する立場というものも有り得たのである。これが京儒や上方の文人たちにしばしば典型した「狂者の意識」というもので(上田秋成も晩年の自分を「狂蕩」とよぶ)、この反徂徠学ともいうべき動向が陽明学をとりこみ、特に当時の文人たちを『水滸伝』などに流れる反逆の思想に傾倒させた。ここにおいて江戸文芸は、徂徠の思想よりも上方ふうの狂文狂詩を巧みに獲得する方へと流れていった。そして、銅脈先生こと畠中観斎や寝惚先生こと太田南畝を、さらには来山人こと平賀源内などを輩出することになった。これが“穿ち”の登場である。そうして“穿ち”はやがて「通」になっていく。
さてこの時期、こちらもやはり荻生徂徠を源流として、中国の白話小説が日本に流れこんできた。荻生徂徠の学派は「論語の教えを直に知るべし」ということで中国語習得を推奨した為、知識人の間で唐和学が盛んになる。知識人たちによる唐話学の学習は、その教科書として使用された白話小説を流行らせることになるのだ。当時の書籍目録「新増書籍目録」を見てみると、1764年(宝暦4年)初出の“小説”というジャンルが白話文学に相当するわけだが、ここでは白話文学が漢文で書かれているという理由から、いわゆる「真面目な本」の系統に分類されているのが興味深い。そして、この漢文の白話は、日本に無いストーリーの面白さを買われて、読本として和語に翻訳翻案(=日本を舞台に作り変えること)されるようになる。まず、長崎の唐通詞・岡島冠山(=荻生徂徠の師匠)や岡白駒らが出て白話小説の翻訳・翻案を試み、『水滸伝』の新解釈を生む。それまでは反権力的な部分が切り捨てられて紹介されていた『水滸伝』は、日本に入ってきた李卓吾の解釈に随った新しい翻案のスタイルに切り替えられたのだ。そしてその形式は建部綾足の『本朝水滸伝』において結実した。そして建部綾足は次いで『西山物語』を発表した。この手法を継承した者に、かの上田秋成がいる。 上田秋成は享保期の大坂に生まれた。代表作『雨月物語』の裏には、『水滸伝』があると言われている。このことには都賀庭鐘(つがていしょう)なる人物の影響が濃い。都賀庭鐘は医術に明るい大坂の人で、その一方で中国語も堪能であり、白話小説の翻案を20~30篇も書いたという。また彼は『英草紙』『繁野話』という読本の先駆的作品を書いた文章家でもあった。『英草紙』は“奇談”というジャンルをベースに据えて白話小説の翻案をミックスした作品で、“茶話+志”という精神圏をも意識した視点で新文体の創造を試みた。『英草紙』の内容の方を少し紹介しておくとしよう。第一話は「後醍醐の帝三たび藤房の諫めを折く話」といい、これは白話小説集『警世通言』所収の「王安石三難蘇学士」の翻案である。翻案の方法としては、時代を『太平記』の世界へと置き換えてある。人物は荊公を後醍醐天皇に、そして蘇東坡を万里小路藤房に置き換えてある。結末部分は、原話においては王安石の博識ぶりを賞賛する印象が強いが、都賀のほうはむしろ才知に驕る天皇像が批判的に描かれている。将軍綱吉を風刺しているという説もあるくらいだ。隠遁する藤房=隠逸思想こそが都賀の歴史観であると見てよいだろう。このような歴史上の人物に評価を語らせるという姿勢は、のちの上田秋成や読本へと引き継がれることになる。
さて、都賀庭鐘に次いで建部綾足が『西山物語』を発表する。彼の作品に上田秋成は大いにインスパイヤされたという。こうして秋成は、中国の白話小説を片っ端から渉猟したという。『雨月物語』という作品は、その趣向を巧みに日本の舞台に移したものだが、むろん単に換骨奪胎をしたわけではない。都賀などの作品に残存していた談義本臭さ(=教訓を平易に説く)を完全に消し去り、“循環する物語”という形式をその文章構成において実現しているのだ。 しかし、最後に注意しておきたいのは、中国白話小説から日本の“読本”というジャンルが生まれたのではないということだ。日本の文学に“読本”というジャンルの流れがもとからあり、その中に白話小説に大いに影響を受けた作品が出現した、ということなのだ。
以上が、今回調べたことである。江戸時代にこんなにも中国通俗文学がブームになっていたとは、あまり知らなかった。このように調べてみて、日本文学への白話小説の影響の大きいことには驚いた。
<参考文献>
◆「新日本古典文学全集巻78」(小学館、1995年)
英草紙 / [都賀庭鐘著] ; 中村幸彦校注・訳
西山物語 / [建部綾足著] ; 高田衛校注・訳
雨月物語 / [上田秋成著] ; 高田衛校注・訳
春雨物語 / [上田秋成著] ; 中村博保校注・訳
◆「日本思想体系36―荻生徂徠―」吉川幸次郎著(岩波書店、1973年)
◆「日本古典文学大系94―近世文学論集」(岩波書店、1966年)
徂徠先生答問書(抄) / [荻生徂徠著] ; 中村幸彦校・注
◆「明和九年刊書籍目録所載「奇談」書の研究 」 飯倉洋一ほか著
(大阪大学文学部研究課、2002年)
「西遊記とかが好きだから…」って理由で、ここまで調べちゃいました♪こんな面白くも無い論文を最後まで読んでくださった方なんて、果たして何人いなさるのでしょうか??とりあえず、有り難う御座いました♪
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