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大津地裁 高浜原発稼働禁止仮処分決定(抜粋)[徒然日記]

投稿日時:2016/03/12(土) 08:44

http://www.news-pj.net/diary/38643より転載

【速報】大津地裁 高浜原発稼働禁止仮処分決定(抜粋)を掲載します

2016年3月9日        
平成27年(ヨ)第6号 原発再稼働禁止仮処分申立事件

決 定

当事者の表示

(略)

主 文

1 債務者は、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において、高浜発電所3号機及び同4号機を運転してはならない。

2 申立費用は、債務者の負担とする。

理 由

第1 申立ての趣旨

(略)

第2 事案の概要

1 事案の要旨

本件は、滋賀県内に居住する債権者らが、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において高浜発電所3号機及び同4号機(以下「本件各原発」という。また、本件各原発のうち、高浜発電所3号機を以下「3号機」と、高浜発電所4号機を以下「4号機」という。)を設置している債務者(※関西電力)に対し、本件各原発が耐震性能に欠け、津波による電源喪失等を原因として周囲に放射性物質汚染を惹起する危険性を有する旨主張して、人格権に基づく妨害予防請求権に基づき、本件各原発を仮に運転してはならないとの仮処分を申し立てた事案である。

(以下略)

第3 当裁判所の判断

1 争点1(主張立証責任の所在)について

伊方原発訴訟最高裁判決は、「原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看退し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政府の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである。

原子炉設置許可処分についての右取消訴訟においては、右処分が前記のような性質を有することにかんがみると、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政府がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである」旨判示した。

原子力発電所の付近住民がその人格権に基づいて電力会社に対し原子力発電所の運転差止めを求める仮処分においても、その危険性すなわち人格権が侵害されるおそれが高いことについては、最終的な主張立証賣任は債権者らが負うと考えられるが、原子炉施設の安全性に関する資料の多くを電力会社側が保持していることや、電力会社が、一般に、関係法規に従って行政機関の規制に基づき原子力発電所を運転していることに照らせば、上記の理解はおおむね当てはまる。そこで、本件においても、債務者において、依拠した根拠、資料等を明らかにすべきであり、その主張及び疎明が尽くされない場合には、電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。

しかも、本件は、福島第一原子力発電所事故を踏まえ、原子力規制行政に大幅な改変が加えられた後の事案であるから、債務者は、福島第一原子力発電所事故を踏まえ、原子力規制行政がどのように変化し、その結果、本件各原発の設計や運転のための規制が具体的にどのように強化され、債務者がこの要請にどのように応えたかについて、主張及び疎明を尽くすべきである。

このとき、原子力規制委員会が債務者に対して設置変更許可を与えた事実のみによって、債務者が上記要請に応える十分な検討をしたことについて、債務者において一応の主張及び疎明があつたとすることはできない。当裁判所は、当裁判所において原子力規制委員会での議論を再現することを求めるものではないし、原子力規制委員会に代わって判断すべきであると考えるものでもないが、新規制基準の制定過程における重要な議論や、議論を踏まえた改善点、本件各原発の審査において問題となった点、その考慮結果等について、債務者が道筋や考え方を主張し、重要な事実に関する資料についてその基礎データを提供することは、必要であると考える。そして、これらの作業は、債務者が既に原子力規制委員会において実施したものと考えられるから、その提供が困難であるとはいえないこと、本件が仮処分であることから、これらの主張や疎明資料の提供は、速やかになされなければならず、かつ、およそ1年の審理期間を費やすことで、基本的には提供することが可能なものであると判断する。

2    争点2(過酷事故対策)について

(1)福島第一原子力発電所事故によって我が国にもたらされた災禍は、甚大であり、原子力発電所の持つ危険性が具体化した。原子力発電所による発電がいかに効率的であり、発電に要するコスト面では経済上優位であるとしても、それによる損害が具現化したときには必ずしも優位であるとはいえない上、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国を越えてしまう可能性さえあるのであって、単に発電の効率性をもって、これらの甚大な災禍と引換えにすべき事情であるとはいい難い。

債務者は、福島第一原子力発電所事故は、同発電所の自然的立地条件に係る安全確保対策(具体的には、津波に関する想定である。)が不十分であったために、同発電所の「安全上重要な設備」に共通要因故障が生じ、放射性物質が異常放出される事態に至つたもので、新規制基準が福島第一原子力発電所事故を踏まえて形成されていることから、福島第一原子力発電所事故と同様の事態が生じることを当然の前提とする債権者らの主張は合理的ではないと主張する。しかしながら、福島第一原子力発電所事故の原因究明は、建屋内での調査が進んでおらず、今なお道半ばの状況であり、本件の主張及び疎明の状況に照らせば、津波を主たる原因として特定し得たとしてよいのかも不明である。

その災禍の甚大さに真摯に向き合い、二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには、原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての債務者の主張及び疎明は未だ不十分な状態にあるにもかかわらず、 この点に意を払わないのであれば、そしてこのような姿勢が、債務者ひいては原子力規制委員会の姿勢であるとするならば、そもそも新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚えるものといわざるを得ない。

福島第一原子力発電所事故の経過からすれば、同発電所における安全確保対策が不十分であったことは明らかである。そのうち、どれが最も大きな原因であったかについて、仮に、津波対策であったとしても、東京電力がその安全確保対策の必要性を認識してさえいれば、同発電所において津波対策の改善を図ることが不可能あるいは極度に困難であったとは考えられず、防潮堤の建設、非常用ディーゼル発電機の設置場所の改善、補助給水装置の機能確保等、可能な対策を講じることができたはずである。しかし、実際には、そのような対策は講じられなかつた。

このことは、少なくとも東京電力や、その規制機関であった原子力安全・保安院において、そのような対策が実際に必要であるとの認識を持つことができなかったことを意味している。現時点において、対策を講じる必要性を認識できないという上記同様の事態が、上記の津波対策に限られており、他の要素の対策は全て検討し尽くされたのかは不明であり、それら検討すべき要素についてはいずれも審査基準に反映されており、かつ基準内容についても不明確な点がないことについて債務者において主張及び疎明がなされるべきである。

そして、地球温暖化に伴い、地球全体の気象に経験したことのない変動が多発するようになってきた現状を踏まえ、また、有史以来の人類の記憶や記録にある事項は、人類が生存し得る温媛で平穏なわずかな時間の限られた経験にすぎないことを考えるとき、災害が起こる度に「想定を超える」災害であったと繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕をもつた基準とすることを念頭に置き、常に、他に考慮しなければならない要素ないし危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定すべきものと考える。債務者の保全段階における主張及び疎明の程度では、新規制は基準及び本件各原発に係る設置変更許可が、直ちに公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない。

(2)次に、本件で問題となった過酷事故対策の中でも、福島第一原子力発電所事故において問題となった発電所の機能維持のための電源確保について検討すると、債務者の考えによれば、例えば、基準地震動Ssに近い地震動が本件各原発の敷地に到来した場合には、外部電源が全て健全であることまでは保障できないから、非常電源系を置くということになる。我が回は地震多発国ではあるものの、実際、本件各原発の敷地が毎日のように基準地震動Ssに近い地震重力に襲われているわけではないから、その費用対効果の観点から、外部電源についてはCクラスに分類し、事故時には非常用ディーゼル発電機等の非常用電源(Sクラスに分類)により本件各原発の電力供給を確保することとするものである。経済的観点からのこの発想が福島第一原子力発電所事故を経験した後においても妥当するのか疑問なしとしないが、そのような観点に仮に立つとすれば、電源事故が発生した際の備えは、相当に重厚で十分なものでなければならないというべきである。

ここで、新規制基準に基づく審査の過程を検討してみると、過酷事故発生に備えて、債務者は、安全上重要な構築物、系統及び機器の安全機能を確保するため非常用所内電源系を設け、その電力の供給が停止することがないようにする設計を持ち、外部電源が完全に喪失した場合に、発電所の保安を確保し、安全に停止するために必要な電力を供給するため、ディーゼル発電機を用意することとし、これを原子炉補助建屋内のそれぞれ独立した部屋に2台備えることとしている。またそのための燃料を7日分、燃料油貯油そうを設けて貯蔵するとしたり、直流電源設備として蓄電池を置いたり、代替電源設備として空冷式非常用発電装置、電源車等を設けることとしたことが認められる。また、原子力規制委員会の審査においては、これらの設置に加え、これらが稼働するための準備に必要な時間、人員、稼働する時間等について審査し、要求事項に適合していると審査した。

ほかにも、過酷事故に対処するために必要なパラメータを計測することが困難となった場合において、当該パラメータを推定するための有効な情報を把握するための設備や手順を設けたり、原子炉制御室及びその居住性等について検討しており、これらからすれば、相当の対応策を準備しているとはいえる。

しかし、これらの設備がいずれも新規制基準以降になって設置されたのか否かは不明であり(ただし、空冷式非常用発電装置や、号機間電力融通恒設ケーブル及び予備ケーブル、電源車は新たに整備されたとある。)、ディーゼル発電機の起動失敗例は少なくなく、空冷式非常用発電装置の耐震性能を認めるに足りる資料はなく、また、電源車等の可動式電源については、地震動の影響を受けることが明らかである。非常時の備えにおいてどこまでも完全であることを求めることは不可能であるとしても、また、原子力規制委員会の判断において意見公募手続が踏まれているとしても、このような備えで十分であるとの社会一般の合意が形成されたといつてよいか、躊躇せざるを得ない。

したがって、新規制基準において、新たに義務化された原発施設内での補完的手段とアクシデントマネジメントとして不合理な点がないことが相当の根拠、資料に基づいて疎明されたとはいい難い。

(3)また、使用済み燃料ピントの冷却設備の危険性について、新規制基準は防護対策を強化したものの、原子炉と異なり一段簡易な扱い(Bクラス)となっている。安全性審査については、原子炉の設置運営に関する基本設計の安全性に関わる事項を審査の対象とすべきところ、原子炉施設にあっては、発電のための核分裂に使用する施設だけが基本設計に当たるとは考え難い。すなわち、一度核分裂を始めれば、原子炉を停止した後も、使痛済み燃料となった後も、高温を発し、放射性物質を発生し続けるのであり、原子炉停止とはいうものの、発電のための核分裂はしていないだけといってよいものであるから、原子炉だけでなく、使用済み燃料ピットの冷却設備もまた基本設計の安全性に関わる重要な施設として安全性審査の対象となるものというべきである。

使用済み燃料の処分場さえ確保できていない現状にあることはおくとしても、使用済み燃料の危険性に対応する基準として新規制基準が一応合理的であることについて、債務者は主張及び疎明を尽くすべきである。また、その上で、新規制基準の下でも、使用済み燃料ピットについては、冠水することにより崩壊の除去が可能であると考えられるが、基準地震動により使用済み燃料ピット自体が一部でも損壊し、冷却水が漏れ、減少することになった場合には、その減少速度を超える速度で冷却水を注入し続けなければならない必要性に迫られることになる。現時点で、使用済み燃料ピットの崩壊時の漏水速度を検討した資料であるとか、冷却水の注入速度が崩壊時の漏水速度との関係で十分であると認めるに足りる資料は提出されていない。

3 争点3(耐震性能)について

(1)福島第一原子力発電所の重大な事故に起因して、原子力に関する行政官庁が改組され、原子力規制委員会が設立され、新規制基準が策定されたものであり、新規制基準は、従前の規制(旧指針及び新指針)の上に改善が図られている。当裁判所は、前記のとおり、本件各原発の運転のための規制が具体的にどのように強化され、債務者がこれにどのように応えたかについて、債務者において主張及び疎明を尽くすべきであると考える。

ところで、債務者は、新規制基準においては、耐震性の評価に用いる基準地震動の策定方法の基本的な枠組みは変更されず、基準地震動の策定過程で考慮される地震動の大きさに影響を与えるパラメータについては、より詳組な検討が求められることになったと主張している。

この点、福島第一原子力発電所事故の主たる原因がなお不明な段階ではあるが、地震動の策定方法の基本的な枠組みが誤りであることを明確にし得る事由も存しないことからすると、従前の科学的知見が一定の限度で有効であったとみるべきであり、これに加え、地震動に係る新規制基準の制定過程からすれば、新規制基準そのものがおよそ合理性がないとは考えられないため、債務者において新規制基準の要請に応える十分な検討をしたかを問題とすべきことになる。

(2)このような観点から、債務者の提示する耐震性能の考え方について検討すると、敷地ごとに震源を特定して策定する地震動を投討する方法自体は、従前の規制から引き続いて採用されている方法であるが、これを主たる考慮要素とするのであれば、現在の科学的知見の到達点として、ある地点(敷地)に影響を及ぼす地震を発生させる可能性がある断層の存在が相当程度確実に知られていることが議提となる。そして、債務者は、債務者の調査の中から、本件各原発付近の既知の活断層の15個のうち、F0-A~F0-B~熊川断層及び上林川断層を最も危険なものとして取り上げ、かつこれらの断層については、その評価において、原子力規制委員会における審査の過程を踏まえ、連動の可能性を高めに、又は断層の長さを長めに設定したとする。

しかしながら、債務者の調査が海底を含む周辺領域全てにおいて徹底的に行われたわけではなく(地質内部の調査を外部から徹底的に行ったと評価することは難しい。)、それが現段階の科学技術力では最大限の調査であったとすれば、その調査の結果によっても、断層が運動して動く可能性を否定できず、あるいは末端を確定的に定められなかったのであるから、このような評価(連動想定、長め想定)をしたからといって、安全余裕をとったといえるものではない。

また、海域にあるF0-B断層の西端が、債務者主張の地点で終了していることについては、(原子力規制委員会に対してはともかくとしても)当裁判所に十分な資料は提供されていない。債務者は、当裁判所の審理の終了直前である平成28年1月になって、疎明資料を提供するものの、この資料によっても、上記の事情(西端の終了地点)は不明であるといわざるを得ない。

(3)次に、債務者は、このように選定された断層の長さに基づいて、その地震力を想定するものとして、応答スペクトルの策定の読提として、松田式を選択している。松田式が地震規模の想定に有益であることは当裁報所も否定するものではないが、松田式の基となったのはわずか14地震であるから、このサンプル量の少なさからすると、科学的に異論のない公式と考えることはできず、不確定要素を多分に有するものの現段階においては一つの拠り所とし得る資料とみるべきものである。したがって、新規制基準が松田式を基に置きながらより安全側に検討するものであるとしても、それだけでは不合理な点がないとはいえないのであり、相当な根拠、資料に基づき主張及び疎明をすべきところ、松田式が想定される地震力のおおむね最大を与えるものであると認めるに十分な資料はない。

また、債務者は、応答スペクトルの策定過程において耐専式を用い、近年の内陸地殻内地震に関して、耐専スペクトルと実際の観測記録の乖離は、それぞれの地震の特性によるものであると主張するが、そのような乖離が存在するのであれば、耐専式の与える応答スペクトルが予測される応答スペクトルの最大値に近いものであることを裏付けることができているのか、疑問が残るところである。なお、債務者は、耐専スペクトルの算出に当たっては、基本ケースのみならず、「傾斜角75°ケース」、「アスペリティー塊ケース」、「アスペリティー塊・横長ケース」を検討しているが、各ケースの応答スペクトルはかなり似通っており、ケースを異ならせることによりどの程度の安全余裕が形成されたかを明らかにし得ていない。債務者の検討結果によれば、最大力B速度(水平)については、基準地震動Ss-1の700ガルが最大であったというのであるから、F0-A~F0-B~熊川断層の三運動(傾斜角75°ケース)の応答スペクトルを超えるところが想定すべき最大の応答スペクトルということになるが、以上の疑問点を考慮すると、基準地震動Ss-1の水平力層速度700ガルをもつて十分な基準地震動としてよいか、十分な主張及び疎明がされたということはできない。

断層モデルを用いた手法による地震動評価結果を踏まえた基準地震動については、債務者は、結果的に、応答スペクトルに基づく基準地震動を超えるものは得られなかったとしているが、債務者のいう、地震という一つの物理現象についての「最も確からしい姿」とは、起こり得る地震のどの程度の状況を含むものであるのかを明らかにしていないし、起こり得る地震の標準的・平均的な姿よりも大きくなるような地域性が存する可能性を示すデータは特段得られていないとの主張に至っては、断層モデルにおいて前提とするパラメータが、本件各原発の敷地付近と全く同じであることを意味するとは考えられず、採用することはできない。ここで債務者のいう「最も確からしい姿」や「平均的な姿」という言葉の趣旨や、債務者の主張する地域性の内容について、その平均性を裏付けるに足りる資料は、見当たらない。

(4)震源を特定せず策定する地震動については、債務者は、平成16年に観測された北海道留萌支庁南部地震の記録等に基づき、基準地震動Ss-6及びSs-7として策定し、この基準地震動Ss-6(鉛直、485ガル)が結果的に最大の基準地震動(鉛直)となっている。債務者の主張によれば、これは、「地表地震断層が出現しない可能性がある地震について、断層破壊領域が地震発生層の内部に留まり、国内においてどこでも発生すると考えられる地震で、震源の位置も規模も分からない地震として地震学的検討から全国共通に考慮すべき地震を設定して応答スペクトルを策定した」とする。このような地震動についてそもそも予測計算できるとすることが科学的知見として相当であるかはともかくとして、これらの計算についても、債務者による本件各原発の敷地付近の地盤調査が、最先端の地震学的・地質学的夫知見に基づくものであることを前提とするものであるし、原子力規制委員会での検討結果がこの調査の完全性を担保するものであるともいえないところ、当裁判所に対し、この点に関する十分な資料は提供されていない。

4 その余の争点について

(1)争点4(津波に対する安全性能)について

津波に対する安全性能についても、上述の観点から検討しなければならない。新規制基準の下、特に具体飴に問題とすべきは、西暦1586年の天正地震に関する事項の記載された古文書に若狭に大津波が押し寄せ多くの人が死亡した旨の記載があるように、この地震の震源が海底であったか否かである点であるが、確かに、これが確実に海底であったとまで考えるべき資料はない。しかしながら、海岸から500mほど内陸で津波堆積物を確認したとの報告もみられ、債務者が行った津波堆積物調査や、ボーリング調査の結果によって、大規模な津波が発生したとは考えられないとまでいってよいか、疑問なしとしない。

(2)争点5(テロ対策)について

債務者は、テロ対策についても、通常想定しうる第三者の不法侵入等については、安全対策を採っていることが認められ、一応、不法侵入の結果安全機能が損なわれるとはいえない。もっとも、大規模テロ攻撃に対して本件各原発が有効な対応策を有しているといえるかは判然としないが、これについては、新規制基準によって対応すべき範疇を超えるというべきであり、このような場合は、我が国の存立危機に当たる場面であるから、他の関係法令に基づき国によって対処されるべきものであり、またそれが期待できる。したがって、新規制基準によってテロ対策を講じなくとも、安全機能が損なわれるおそれは一応ないとみてよい。

(3)争点6(避難計画)について

本件各原発の近隣地方公共団体においては、地域防災計画を策定し、過酷事故が生じた場合の避難経路を定めたり、広域避薙のあり方を検討しているところである。これらは、債務者の義務として直接に問われるべき義務ではないものの、福島第一原子力発電所事故を経験した我が国民は、事故発生時に影響の及ぶ範囲の圧倒的な広さとその避難に大きな混乱とが生じたことを知悉している。

安全確保対策としてその不安に応えるためにも、地方公共団体個々によるよりは、国家主導での具体的で可視的な避難計画が早急に策定されることが必要であり、この避難計画をも視野に入れた幅広い規制基準が望まれるばかりか、それ以上に、過酷事故を経た現時点においては、そのような基準を策定すべき信義則上の義務が国家には発生しているといってもよいのではないだろうか。

このような状況を踏まえるならば、債務者には、万一の事故発生時の責任は誰が負うのかを明瞭にするとともに、新規制基準を満たせば十分とするだけでなく、その外延を構成する避難計画を含んだ安全確保対策にも意を払う必要があり、その点に不合理な点がないかを相当な根拠、資料に基づき主張及び疎明する必要があるものと思料する。

しかるに、保全の段階においては、同主張及び疎明は尽くされていない。

5 被保全権利の存在

本件各原発は一般的な危険性を有することに加え、東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故という、原子力発電所の危険性を実際に体験した現段階においては、債務者において本件各原発の設計や運転のための規制が具体的にどのように強化され、それにどう応えたかの主張及び疎明が尽くされない限りは、本件各原発の運転によって債権者らの人格権が侵害されるおそれがあることについて一応の疎明がなされたものと考えるべきところ、本件各原発については、福島第一原子力発電所事故を盤まえた過酷事故対策についての設計思想や、外部電源に依拠する緊急時の対応方法に関する問題点、耐震性能決定における基準地震動策定に関する問題点について危惧すべき点があり、津波姑策や避難計画についても疑間が残るなど、債権者らの人格権が侵害されるおそれが高いにもかかわらず、その安全性が確保されていることについて、債務者が主張及び疎明を尽くしていない部分があることからすれば、被保全権利は存在すると認める。

6 争点7(保全の必要性)について

本件各原発のうち3号機は、平成28年1月29日に再稼働し、4号機も、同年2月26日に再稼働したから、保全の必要性が認められる。

以上の次第で、債権者らの申立てによる保全命令は認められることになるところ、債権者らの主張内容及び事案の性質に鑑み、担保を付さないこととする。

第4 結論

よって、主文のとおり決定する。

平成28年3月9日

大津地方裁判所民事部

裁判長裁判官 山 本 善 彦

裁判官  小 川 紀代子

裁判官  平 瀬 弘 子

安保法案の強行採決は、「憲法クーデター」だ 2015年07月16日 小林正弥[徒然日記]

投稿日時:2015/08/05(水) 01:19

 

WEBRONZAから、引用した記事。

WEBRONZAは、朝日新聞デジタルの一部です。


 

安保法案の強行採決は、「憲法クーデター」だ

審議時間はあと数倍~10倍は必要だった

小林正弥

憲政史の歴史的瞬間

 7月15日正午過ぎ、安保法案が衆院平和安全法制特別委員会で強行採決された。NHKは、公共放送であるはずなのに、公共的にきわめて重要な委員会の質疑を生中継しなかった(採決は正午のニュースを延長して中継)ので、私はインターネット中継で採決の瞬間を見た。

 民主党をはじめ野党の議員は「強行採決反対!」「アベ政治を許さない」などのプラカードを手に掲げながら立って怒号や悲鳴をあげながら反対を叫んでいたから、見た目には賛成の起立者の数はわからない。この委員会で反対の質問をたびたび行ってきた辻元清美議員などは議場から出るときに、悔し涙を浮かべていた。

 これは、日本の憲政史に残る歴史的瞬間である。

審議時間を最低限で終わらせる強行採決の不当性

 与党は、従来、このような重要法案を100時間くらいの審議で決めているのに対し、この法案は14日までに113時間以上も審議されたから、国民の理解は深まり、決めるべき時であると主張しているが、これは明らかに正しくない。そもそも、審議時間が決定的に足りない。

 

国会に向かって安保関連法案の採決に抗議する人たち=1520150715拡大国会に向かって安保関連法案の採決に抗議する人たち=2015年7月15日
 この法案は11の法律からなる。国民は国会審議を通じてその全体像を知ることができただろうか? 

 

 私は最近、この法案について講演を求められて改めて調べたが、法案の全体像についてのわかりやすい解説がインターネット上などにほとんどないことに気づいて驚いた。

 通常の重要法案であれば、メディアのホームページなどにわかりやすい図入りの解説などが掲載されている。ところが、そのような信頼できる説明がほとんどなく、かろうじて全体像を示しているのは内閣官房のホームページくらいだった。一般の人々がこれを見て全体像を理解するのは極めて難しいだろう。

 一般的な解説の多くでは、せいぜい集団的自衛権行使を可能にする事態対処法制についての簡単な説明があるくらいで、重要影響事態安全確保法や国際平和支援法や国際平和協力法についての説明やそれらの関係についての解説は極めて少ない。

 ところが、これらはいずれも従来の法律の大改正や新法であり、それぞれが重要法案なのである。

 重要影響事態安全確保法は従来の周辺事態法を改正したものであり、国際平和支援法はアフガニスタン戦争やイラク戦争などの際の特措法を恒久法にしたものである。

 周辺事態法やそれらの特措法がそれぞれ時の政権にとって大問題であり、国会が大紛糾したことは、記憶のある人も少なくないだろう。だから、これらをすべて丁寧に審議するためには、とうてい113時間では足りず、その数倍ないし10倍くらいの時間が必要なのである。

法案成立の策略と奸知

 そもそも、これだけ多くの重要法案を一括して審議しようというのは、国会審議を最低限で済ませて一気に決めようという政権の企みに他ならないだろう。この法案の出し方自体が、民主主義的な熟議を回避したいという策略と奸知を表わしているのである。

 これらの法案が「平和安全法制」という名称で、あたかも平和のための法案であるかのごとく装っているのも、これと同じである。

 福島瑞穂社民党議員が国会で「戦争法案」と述べたことについて自民党は当初は異例の表現修正を求め(4月17日)、安倍首相は「『戦争法案』などという無責任なレッテル貼りは全くの誤り」と反論した(5月14日)。

 しかし、憲法学者の小林節氏が「紋切り型の答えが『レッテル貼り』という逆ギレだけだ」と述べた(6月22日)ことを契機にして、今では安倍首相の反論は説得力を失い、メディアも「平和安全法制」という名称をそのまま用いるのではなく、安保法制というような表現を用いている。これは中立的な表現と言えよう。

何でもできる「戦争法案」?

 いかに審議が不十分であるか、わかりやすい例をあげておこう。

 安倍首相は、特別委員会の審議の最終段階で、民主党の岡田代表が、朝鮮半島有事の際に集団的自衛権を行使する要件に関して、米艦が攻撃される前でも集団的自衛権が行使できるかと質問したところ、「邦人輸送の船、あるいはミサイル警戒に当たっている船、どちらでもいいが、米艦が攻撃される明白な危険がある段階で、存立危機事態の認定が可能」と答弁した(7月10日)。

 これでは、相手国からの攻撃がない段階で日本から集団的自衛権の武力行使ができることになってしまう。つまり、アメリカも日本も攻撃されない段階で、日本から先制攻撃ができることになるわけである。

 もしこの答弁通りなら、「専守防衛」どころか、日本から先に戦争を開始できることになりかねない。そうなってしまえば、歯止めがなくなってしまい、ほとんどのことができることになりかねないのである。

 このように、この法制に関してはまだ十分に議論されていない点があまりにも多い。そして安倍首相は午前の締めくくりの総括質疑で「残念ながらまだ国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めたにもかかわらず、その直後に与党は採決を強行したのである。

衆議院における「多数の専制」による憲法クーデター

 衆議院における多数の力でこのような違憲の立法を行うということは、まさしく「多数の専制」に他ならない。

 政治理論では、民主主義の問題点の一つとして、「多数の専制」という危険性が挙げられてきた。だからこそ、少数派の尊重や熟議が必要とされているのである。

 通常の多数決でもこのような問題がありうるが、大多数の憲法学者が違憲とする法案を十分に審議せずに強行採決を行うのは、まさに憲法を破壊する専制政治に他ならないからである。

 2014年の閣議決定の時に述べたように、集団自衛権行使容認の閣議決定は「憲法クーデター」であるという見方がある(「『安倍政権の憲法クーデター』説」2014年07月22日)。

 憲法学者でも、たとえば石川健二氏(東京大学)は、安倍政権の政権運営を「非立憲」(立憲主義の精神への違反)として、2014年7月1日の閣議決定を「法学的にはクーデターだった」と述べている(『世界』2015年8月号)。国民に信を問うことなく、閣議決定によって法的連続性を切断してしまい、「法の破砕」を行ったからである。だから、ここには「立憲主義」と「専制主義」との対立が現れている、というのである。

 この国会審議や強行採決のやり方は、熟議することなく、国会審議によって反対が増加してもなお強引に立法に突き進むという点で、まさにこのような見方を裏付けるものである。つまり、この強行採決によって、安倍内閣はまさに「憲法クーデター」という歴史的暴挙を国会で決行したとみなさざるを得なくなりつつあるのである。

民の心は、正義に反する「覇道政治」をいかに見るか?

 安倍首相は、国際法曹協会のスピーチで、故郷の先人・吉田松陰の教えとして「天の視るは我が民の視るにしたがい、天の聴くは、我が民の聴くにしたがう。」という言葉を引いた(2014年10月19日)。

 これは、実は松陰が講義を行った『孟子』で『書経』から引用されている言葉であり、「天は、民の目にしたがってすべてを見、民の耳にしたがってすべてを聴く。すなわち、民の心が天の心。民の声が天の声となる」というような意味である。

 孟子こそが義を重視し、王道と覇道とを峻別して、覇者の暴虐な政治に対して「民」の心に基づいた正義の革命を正当化した思想家であった。

 この強行採決は、今日のいかなる正義論からみても、正義に反している(「いかなる正義にも反する安保法案の強行採決(上)(下)」2015年7月13~14日)。だから孟子や松陰のような観点から見れば、安倍内閣の強行採決は、正義に反していると同時に、「民の心」すなわち「天の心」に反しているという点でも、まさに「覇道」そのものの専制政治ということになろう。

 与党は7月16日に衆議院本会議で強行採決をする方針を決めた。野党は、街頭で「民」にその不当性を訴えている。政権側は、支持率は下がるだろうが国民は時間がたてば忘れるだろうと期待しているという。このような政治を「民」はどのように見て、どのように行動するのだろうか?

筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院人文社会科学研究科教授(政治学)

 

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も努める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。ツイッターは、https://twitter.com/mkobayashichiba/ フェイスブック(小林正弥研究室)は、http://www.facebook.com/Prof.masaya.kobayashi

 

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投稿日時:2014/05/21(水) 01:16

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