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象徴天皇制について考える。

2016/07/04

第82講 象徴天皇制について考える。

日本国憲法の第1条について考えてみましょう

 象徴天皇制が導入されてから70年近い月日がたっていますが、その具体的なイメージはいまなお定まっておりません。たとえば、天皇は「元首」なのか否か、日本国は「君主国」なのか、「共和国」なのか、というような基本的な問題についても学説は二分されているのです。

 ちなみに、「元首」とは、大統領や国王など、国家を代表する機関のことをいいます。

 ◆「君主制」と「民主制」

 どの国の憲法においても、第1条に、特に重要な事項が定められています。日本国憲法の場合、それが「象徴天皇制」と「国民主権」です。前者は君主制の原理をあらわし、後者は民主制の原理をあらわしています。この2つの原理の関係は、どのように把握されるべきなのでしょうか。学説は多様ですが、典型的な2つの立場を紹介することにしましょう。第1の立場の論者は、つぎのようにいいます。

 「君主原理と民主原理は矛盾する関係にある。日本国憲法には、君主制の原理が残されているが、日本の民主化のためには、これを軽くみる必要がある。天皇の活動の場を広く認めてはならない。天皇は元首ではない。内閣総理大臣こそが日本国の元首である」

第2の立場の論者は、つぎのようにいいます。

 「君主制原理と民主制原理は、むしろ調和する関係にある。このことは、イギリスなど、西欧の君主国をみればわかることだ。天皇は元首である」

 ◆「君主国」か「共和国」か

 第1の立場には問題があります。国際社会においては、大統領制の下では大統領が「元首」とみなされます。君主制の下では君主が「元首」とみなされます。天皇こそが「元首」であるとみるべきです。

 そこで第1の立場は、「天皇は君主ではない、日本国は共和国だ」と主張します。これも国際的な常識を無視した主張です。国際社会において、日本国は、イギリスなどとならんで、君主国の典型とされています。

 このような問題があるにもかかわらず、第1の立場の論者が、日本を「共和国」とみなしているのは、フランス革命のプロセスを普遍的なものとみているからではないかと思われます。

 フランスにおいては、王制が廃止され、共和国が形成されました。第1の立場の論者は、これを重視して、共和制の実現こそが民主化の証しであると考えているのです。

 しかしながら、イギリスをはじめ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの例からも明らかなように、君主国においてこそ、民主化は、よりスムーズに達成されています。

 一方、共和国ドイツにおいては、ナチスの一党独裁体制が生まれました。共産国ロシアにおいては、共産党の一党独裁体制が生じました。共和制の実現は、必ずしも民主化を意味するわけではないのです。憲法解釈においては、国際社会の常識にも目を向ける必要があります。

 憲法改正をおこなうことが理想ですが、現行の規定の上でも、天皇は「元首」であり、日本国は「君主国」です。

 象徴天皇制を理解するためには、まずこのことを考えてみる必要があるのです。

 

日本国は、立憲君主国です。イギリス、スウェーデン、デンマークなどと同じタイプの国家です。

 これらの君主国において、それぞれの君主は、すべて「象徴」としての役割を果たしています。憲法に、象徴についての規定があるか否かは関係ありません。このほかの点については、それぞれの国の伝統によって異なります。

西欧の君主制と異なる

 天皇制の特質として、つぎの2点を挙げることができます。

 第1に、天皇制は世界最古の君主制です。

 西欧の王朝は、いずれも数百年の歴史をもつにとどまりますが、日本の皇室は千数百年の歴史をもち、神話の世界にとけ込んでいます。その結果、西欧の君主制にはみることのできない特質を示すようになっています。

 天皇は、上古以来、一貫して「祭祀(さいし)王」としての性格をもってきました。西欧においても、かつては、それぞれの部族の首長(族長)が「祭祀王」としての性格をもっていましたが、それらはすべて途絶えてしまいました。「祭祀王」としての性格がそのまま現在に続いているのは、日本だけにみられる現象です。

 「祭り主」のしごとは、国の平和と民の安心を祈願することにあります。歴代の天皇は、「国平らかなれ、民安かれ」と祈願してきたのです。

第2に、天皇は、世界唯一のエンペラーです。

 江戸中期に来日した、ドイツ人医師のケンペルが書いた『日本誌』において、天皇は「聖職的皇帝」であると記述されています。

 現在のヨーロッパにおいても、「天皇」の訳語として、それぞれの国の「皇帝」に当たる語が用いられています。たとえば、英語の「エンペラー」が用いられているのです。

 19世紀には、ドイツのカイザー、ロシアのツァーリ、清の皇帝、トルコのスルタン、エチオピアの皇帝など、多くのエンペラーがいましたが、今ではすべて消滅してしまいました。天皇は、現在では世界唯一の「皇帝」です。

天皇制の歴史を知る

 「天皇」という称号がとなえられるようになったのは、天武天皇の当時のことと思われます。それまで、天皇の父祖たちは、たんに「おおきみ」などとよばれていました。大和の大王が「天皇」と号するようになった理由として、東アジアをめぐる国際情勢の変化を挙げることができます。

 当時の東アジアにおいて、「皇帝」の語は、秦漢帝国の後継者のみに許された称号でした。周辺国の君主は、「王」と称されていました。王たちは、中華帝国の皇帝に従属する臣下の立場にありました。「天皇」の号は、国際的には「皇帝」を意味します。東アジアには、このときから、2人の皇帝、2つの帝国が並存するようになったのです。

 このような動きは、日本固有の文明の発展にも大きな影響を与えました。ちなみに、サミュエル・ハンチントンは、その著書『文明の衝突』(1998年)において、「世界には8つの独立した文明圏がある。日本文明はそのうちのひとつである」と述べています。 日本国憲法の天皇制度を理解するためには、天皇制の歴史を知ることが必要とされるのです。

 

 

 

 

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