象徴天皇制と日本国憲法 - 両陛下のカリスマと未完のプロジェクト
2016/07/04
象徴天皇制と日本国憲法 - 両陛下のカリスマと未完のプロジェクト
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皇室なり天皇制なりについての議論を単純に一般化すれば、すなわち、左翼は基本的に天皇制廃止論であり共和制への移行を求め、右翼は天皇が現人神として君臨する戦前の国体への回帰を理想とする。私の立場はそのいずれでもなく、現在の天皇皇后両陛下が試行錯誤しながら組み立てている日本国憲法の象徴天皇制を支持している。生まれながらの差別なき万民平等の原則から言えば、共和制への移行は人類史的な普遍的方向であることは疑いないが、この日本がすぐにその政治体制を選択すべきだとは思わない。譬えば、いま日本が大統領制になったと仮定して、大統領選に立候補して選ばれるのは誰かと想像すると、思い浮かぶ顔は小泉純一郎である。マスコミが囃し立てて小泉純一郎を元首にしてしまう。理解不能な仮想現実だが、国民の多くが嬉々として小泉純一郎に一票入れる可能性が高い。他の顔を考えると、次に浮かんでくるのはビートたけしである。左翼もビートたけしに票を入れるだろう。国民はこのように大統領を選ぶ。ポピュリズムのフェスティバルになる。
小泉純一郎でもビートたけしでもない場合は誰か。そのときは、元最高裁判事だとか、元国連大使だとか、元東大総長だとか、元日銀総裁だとかの官僚が選ばれる。現行の都道府県知事選のようになる。官僚の天下りポストの最高位の地位として大統領職が設定される。顔無しのお飾りが大統領職を務める。そのようになる。10年前であれば、長嶋茂雄が最有力候補で、その次が石原慎太郎だっただろう。私は、小泉純一郎でもビートたけしでも官僚上がりでも我慢できず、そのような日本は想像するだけで胸がムカムカして、今上天皇が国家と国民統合の象徴である現在の体制の方がずっと安心できて心地がいい。それは単に天皇制の長い歴史的伝統から齎される正統性への信頼や支持の気分だけではない。今上天皇は指導者として傑出している。そのように思われるからである。私が特に感銘を受けたのは、何度も言っているが、即位の際の「皆さんとともに憲法を守り」の宣誓の言葉である。あれは画期的な事件であったし、私の中で天皇や天皇制に対する評価を一変させた劇的な出来事だった。
これまで、日本の指導者から、任務と職責の遂行に際して「日本国憲法を守る」という宣誓を聞いたことがない。この事は本当に大事なことで、日本国がどういう国家であり、主権者が誰であるかを明らかにするもので、国民が(法的存在としての)国民であることを意識させる瞬間である。天皇陛下の即位時の憲法遵守宣言は、日本が法治国家であることと、主権が国民に存することを内外に表明するものだった。例えば、最高裁判所長官は、任命され就任するときは、本来なら必ず同じ宣誓を行わなければならないはずだ。三権の長である衆院議長と参院議長もそうだ。国旗を壇上や机上に掲揚するように、就任時に憲法に宣誓する形式手続が必須であるはずだ。最もそれが必要なのは総理大臣で、総理大臣は衆議院で首班指名されて組閣に及ぶ前に、特別国会で施政方針を演説する前に、国民の前に憲法遵守宣誓の儀式を見せて、同時に自己の政治哲学と政策要綱を語るべきなのである。それは組閣方針の開陳でもある。米国の大統領は聖書に手を乗せて宣誓をする。ロシアの大統領は憲法に乗せて宣誓をする。
本来なら日本でもそれをすべきなのだ。首相や三権の長だけではない。内閣の閣僚も、都道府県の知事も、都道府県議会議長も、全国の教育長も、県警本部長も、国立大学の学長も、さらには統幕と三隊の幕僚長も、全国の師団長も、就任式の際に憲法遵守宣誓の儀式をするべきなのである。憲法遵守を宣誓できない人間は国家機関の指導的地位に就くべきではない。改憲思想の人間は、野に下って、改憲運動の活動家として生きるべきで、改憲党派の議席を院内で増やし、三分の二を目指せばよいのである。現行憲法を原理的に否定する改憲主義者(安倍晋三的な戦前国体回帰派)が国の機関の長を務めるのは根本的に間違っている。日本の政治は、憲法を紙切れのタテマエにして、憲法の存在そのものまで否定する状況に至っていたが、唯一、天皇だけが日本に日本国憲法が実在することを国民に示して見せた。あの即位の際の憲法遵守宣言は本当に大きい。米国では憲法は統治の原理として行政や教育の隅々に生きているが、日本では憲法は政治家や官僚によって侮蔑され、存在が否定され、異端思想として排斥されている。
その問題に関連して、一部のブログ左翼が、立憲主義の意義を強調しながら、同時に「憲法は国家が守るべきもので国民が守るものではない」などと倒錯した議論を繰り返している。この主張はまさに解体脱構築の思想であり、事実上、日本においては立憲主義の否定に繋がる。国民が守らなくて誰が憲法を守るのだ。われわれは義務教育課程で二度も憲法を学ぶ。小学校6年と中学3年。さらに高校3年と三度も憲法を学ぶ。何のために憲法を学ぶのか。教育するのか。守るべき憲法を知るためだ。生徒(国民)が憲法を守る責任主体だからである。社会科教育が市民生活に必要な社会常識の提供と言うのなら、憲法以上に刑法や民法を教室で教えるべきだろう。守る必要のない憲法の知識より、守る必要のある法律の知識の方が重要ではないか。何のために憲法を教え、憲法を学ぶのか。憲法を守らなくてはならない人間が、政府や国家機関の人間だけだと言うのなら、その専門知識を持つ必要があるのは一握りのエリートで、そんなものは義務教育で教える必要はないではないか。ブログ左翼に訊きたいが、例えば、私立学校の教師は憲法を守る義務はないのか。保育士はどうだ。
例えば、ここに憲法の前文があり、前文の冒頭に何度も「われらは」とあるが、この「われら」というのは国家なのか。国民なのか。前文の末尾に、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」とある。憲法を守るということは、憲法の理想と目的を達成するために、主権者である国民が自ら主体的に憲法の各条を尊重し遵守することなのではないのか。例えば、第14条に「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。この規定を仮に国家遵守主体論者の論理的立場で解釈すれば、公務員や裁判官の採用に際しては、応募者を宗教や政治思想で差別するのは違憲だが、民間企業なら別に構わないという判断になるのではないか。同様に、被差別部落出身者を民間企業が採用から排除するのは違憲ではないという論理には繋がらないか。第14条は誰が守るのか。国家遵守主体論の危険なところは、主権者であり法的存在である国民を憲法から疎外することである。憲法を国民から切り離し、国民に憲法への関心を薄れさせる詐術が隠されている。
私が現行の象徴天皇制を支持する理由として、天皇陛下の指導者としてのカリスマを挙げたが、もう一つ大きな理由がある。それは皇后陛下の格調高い指導者的カリスマである。憲法は第1条で、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と規定しているが、この象徴の存在は、単なる法的地位においてではなく、現実に二人のカリスマ性において実質的に担保されていて、特に皇后陛下の役割がきわめて大きい。夫婦二人の人格で国民の信頼と尊敬を得て、象徴天皇制の形式を維持している。ここまで皇后なり王妃のカリスマが拡大して、夫婦二人で王制や帝政を維持した例というのは世界史的にも類例がないのではないか。あまり思い浮かばない。日本は古い歴史と伝統を持つ国だが、日本国憲法体制の日本国は新しく、象徴天皇制は開始されたばかりのシステムである。二人を見ていると、まさに象徴天皇制革命の同志のようであり、二人で助け合い、知恵を出し合って、日本国憲法の象徴天皇制の理念を具現化している。同志のように理念と思想が共有されている。そしてこれまでの達成を生み、互いに尊敬し合っている。開かれた皇室、伝統の継承、3人の子供の子育てと教育。どれも成功している。
皇后陛下の人格と営為を媒介して一般に表象させる象徴天皇制というのは、何か未完の理想のプロジェクトのようであり、天皇制という言葉が一方で想起させる、古色蒼然たる、奇怪で危険な雰囲気のするマイナスの歴史的イメージとは隔絶した印象がある。大統領制なり共和制にするよりも、美智子皇后のような傑出したカリスマが何代も続くモデリッシュな象徴天皇制の方がずっといい。そのように思ってしまう。今後の皇室はどうなるのか。いま7歳の愛子さまが中学校に上がる5年後が一つの節目になるだろう。雙葉中学への入学準備があるかどうか。皇太子と雅子妃の間が元に戻るとは思えず、離婚をしなければ、皇太子の「新しい公務」の中身は雅子妃側の恣意にズルズルと変容させられ、両陛下が挑戦して築き上げてきた象徴天皇制は完全に崩壊させられる。天皇が「国民の総意に基づく」地位でいるためには、天皇が努力で国民からの尊敬と信頼を得なければならず、雅子妃に対する国民の不信と反感がここまで高まった以上、皇太子が天皇になっても国民の支持は集まらない。国民が皇太子に同情し、信頼を取り戻すのは、雅子妃との離婚を決断したときだけだろう。皇太子にも本格的なカリスマに転成することを願う。
両陛下は戦後日本の平和を一生の課題として追求してきた。皇太子には、ぜひ現在の日本の貧困の問題に目を向けて欲しい。ポスト団塊世代のわれわれの課題は貧困解消であり、そして高度な福祉国家の実現である。皇太子にはその指導者になっていただきたい。
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