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内なる天皇制 若者に強いタブー意識 左派にも依存意識/森達也

2016/07/04

内なる天皇制 若者に強いタブー意識 左派にも依存意識/森達也

BARA harumi-s at mars.dti.ne.jp 
2013年 11月 27日 (水) 11:32:41 JST

 


新聞記事
2013.11.27
朝日新聞・朝刊
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311260611.html?ref=pcviewer

内なる天皇制 若者に醸成された強いタブー意識 左派にも依存意識/森達也

戦後約70年が経ち、天皇陛下に対する私たちの意識は変わったと思って
いたが、違った。
久々に耳にした「不敬」は、私たちは変わったというよりは、天皇について
ただ考えなく、語らなくなっているだけなのだと教えてくれる。
だから語ってもらおう。
かつて憲法1条=天皇をテーマにドキュメンタリーを撮ろうとした、森達也さんに。

 ――園遊会で山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡した件は、
参院議長が厳重注意し、落着しました。

 「『常識を欠くもので、極めて遺憾』と。
しかし常識というのはとても恣意的な言葉です。
何のルールを侵したのか明示されないまま、ペナルティーが与えられる。
極めて日本的なやり方ですっきりしませんね。
そもそも手紙を渡すことがどうして『政治利用』になるのでしょう。
強いて言うなら『政治利用未遂』だし、それ以前に、利用するとかされるとか、
それこそ天皇に失礼じゃないですか。
僕だったら『私はモノじゃない』と言いたくなります」

 「騒動後に社会とメディアにあふれた言葉は『政治利用』だけではなく、
『非礼』や『失礼』、そして『不敬』でした。
この国の『内なる天皇制』はこれほどに強固だったのかと感じ入りました」

 ――どういうことですか。

 「大学の授業で、学生たちに山本さんの行為をどう思うかを聞くと、一様に
『失礼だ』『不敬だ』との答えが返ってきました。
その表情は真剣です。
『天皇がとても困っているように見えた』とか『手紙を片手で渡すなど失礼だ』
などと発言する学生もいました。
でも『例えば学生が学長に、あるいは社員が社長に手紙を渡すことは非礼
なのか?』と聞くと『それは違います』と。
『ではなぜ天皇に対しては非礼になるのか?』と重ねて聞けば、『確かになぜ
でしょうね』ときょとんとしている。
彼らは平成生まれです。
なのに天皇はタブーに囲まれた特権的な存在だという意識をいつの間にか
内面化している。
これが『内なる天皇制』です。
今の若い世代は権威に従順で空気に感染しやすいので、自然とそうなって
しまったのでしょう」

 ――とはいえ歴史を踏まえれば、天皇の政治利用は許されません。

 「そうですね。
しかし天皇制の歴史は、時の政治権力に利用され続けてきた歴史ともいえる。
その究極がアジア太平洋戦争です。
政治利用のリスクを本当に退けたいなら、戦後、天皇制を手放すべきでした。
しかしアメリカは日本の占領統治を円滑に進めるために、天皇制を残した
ほうがいいと考えた。
そのために昭和天皇は戦争に積極的ではなく、軍部に利用されただけだと
いう『物語』を強調しました。
その副産物がA級戦犯で、天皇制を守るためにA級戦犯に責任を背負わせた。
だから昭和天皇も今上天皇も、A級戦犯が合祀されて以来、靖国神社を訪れた
ことはありません」

 「ところが自民党の歴代首相は靖国神社参拝に意欲を見せ、その一方で
改憲して天皇を国家元首にしようと。
これほど倒錯した政治利用はありませんが、自民党も国民も気づいていない。
そのレベルで戦後を過ごしてきたからこそ、山本さんの件では表層的な批判が
宙を舞い、『内なる天皇制』や皇室タブーがさらに強化され、本質的な議論が
ますますしづらくなったと思います」

 「今年4月に政府が主催した『主権回復の日』を祝う式典への天皇、皇后の
出席が政治利用だと指摘されました。
天皇、皇后が退席する際、会場から『天皇陛下万歳』の声がかかり、安倍晋三
首相や麻生太郎副総理も万歳したことも批判された。
でも話はそこにとどまりません。
その後にアップされた政府のインターネットテレビの動画をみると、なぜか
『天皇陛下』の音声だけが消えています。
数秒間無音になって、唐突に『万歳』が聞こえてくる。
意図的かどうかは別にして、これこそ非礼でしょう。
少なくとも万歳三唱の際の天皇の表情は、山本さんから手紙を渡された時
よりも困惑しているように僕には見えました」

 ――原発反対の一点で支持され、国会議員になった山本さんが、その原発
問題について天皇に「直訴」する。
戦後の民主主義とはいったいなんだったのでしょうか。

 「民主主義や主権在民という言葉がむなしく響きます。
結局は与えられたままになっているということです。
その理由の一つは、やはり天皇制にあると思います。
統治者と被統治者という緊張関係があるからこそ、被統治者の権利への
意識が覚醒し、民主主義は実体化する。
しかし日本では、天皇制がその緊張関係に対する緩衝材のような役割を
果たしてきました。
為政者にとってはとても都合の良いシステムです」

 ――山本さんの弁明は「この胸の内を、苦悩を、理解してくれるのは
この方しか居ない、との身勝手な敬愛の念と想いが溢れ、お手紙を
したためてしまいました」でした。

 「まるで一昔前の恋文ですね。
でも考えてみれば、山本さんほど直情径行ではないにせよ、天皇に
対する信頼がいま、僕も含め、左派リベラルの間で深まっていると思います」

 「きっかけのひとつが、2001年の天皇誕生日に先立って記者会見し
『桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている
ことに、韓国とのゆかりを感じています』と語ったことです。
さらに10年にも、やはり桓武天皇に触れながら『多くの国から渡来人が
移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました』と。
最初の発言は小泉政権下。
日韓関係が冷え込んでいました。
2度目の発言は、尖閣諸島沖で中国漁船による衝突問題が起きた1カ月後です」

 「04年の園遊会では、当時東京都教育委員だった棋士の米長邦雄氏が
『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と発言
したのに対して、『やはり、強制になるということではないことが望ましい』と
応じた。
快哉を叫んだ左は多かったと思います。
明らかに天皇は一定の意思を示していて、追い詰められるばかりの左に
とって最後の希望のような存在になってしまっている。
倒錯しています。
でも白状すると、その心性は僕にもあります」

 ――権力や権威に常に懐疑の目を向けてきた森さんが、天皇にそんな
思いを抱いているとは意外です。

 「直感でしかないけれど、人格高潔で信頼できる方だと好感を持っています。
そしてそういう自分の心情も含めて、危なっかしいなあとも思います。
天皇への依存感情が生まれているわけですから。
戦後約70年かけて、また戻ってきちゃったなと」

 「政治家も官僚も経営者も私利私欲でしか動いてないが、天皇だけは違う。
真に国民のことを考えてくれている。
そんな国民からの高い好感と信頼が今の天皇の権威になっていると思います。
昭和天皇は遠い存在でした。
遠くて見えないことが、権威の源泉になっていた。
しかし今上天皇からは肉声が聞こえるし、表情もうかがえる。
だから右だけではなく左も自分たちに都合よく天皇の言動を解釈し、もてはやす。
いわば平成の神格化です。
天皇は本来、ここまで近しい存在になってはいけなかったのかもしれませんね」

 「そもそも人間は象徴にはなり得ません。
ひとりひとり個性があるからです。
表情や発言に感情がにじんでしまうことがある。
寿命があるから代替わりもする。象徴天皇制は、どんなキャラクターの人が
天皇になるかによってその相貌が変わる、実はとても不安定な制度です」

 「天皇が『現人神』のままでは占領統治がうまくいかないと考えたアメリカの
意向を受け、昭和天皇は『人間宣言』をし、象徴天皇となった
。ここで捩れてしまったのです」

     ■     ■

 ――ただ、天皇への思い入れが薄い若い世代が増えれば、状況は
ずいぶん変わってくるでしょう。

 「僕もそう思っていましたが、今回、それは違うと気づいた。
老若男女を問わず日本人は好きなんですね、『万世一系』という大きな
物語が。
日本は世界に例をみない特別な国なんだという、インスタントな自己
肯定感を与えてくれますから」

 「天皇制は、選民思想を誘発します。
この国の近代化の原動力の一つは、他のアジア諸国への蔑視であり
優越感で、敗戦後もその感情は持続しました。
だからこそ原爆を二つ落とされ、首都は焼け野原になって無条件降伏を
したのに、二十数年後には世界第2位の経済大国になった。
確かにこれはミラクルです。
しかしGDP(国内総生産)は中国に抜かれ、近代化のシンボルである
原発で事故が起き、日本は今後間違いなく、ダウンサイジングの時代に
入ります。
でも、認めたくないんですよ。
アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。
ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和できない。
その『現実』と『感情』の軋みが今、ヘイトスピーチや、『万世一系』神話の
主役である天皇への好感と期待として表れているのではないでしょうか」

 「結局、戦後約70年をかけてもなお、僕たちは天皇制とどう向き合う
べきか、きちんとした答えを出せていない。
山本さんの軽率な行動は図らずも、このことを明らかにしてくれました」
(聞き手・高橋純子)
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 もりたつや 56年生まれ。
明治大学特任教授。98年、オウム真理教のドキュメンタリー映画「A」を
発表。
著書に「死刑」「A3」など。 

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