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女帝もいらない 天皇制の廃絶を

2016/07/04

『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』
林 紘義 著


天皇制を根底的に論じる

 本書は林紘義氏がここ数年間に本紙『海つばめ』に執筆した天皇制に関する論説を、新たに序章を付してまとめたものである。天皇主義、愛国主義の攻撃は、日の丸・君が代の有無を言わさぬ強制に見られるように激しくなる一方である。その中心には天皇および皇室への崇敬の押し付けがある。本書は天皇制とそれにまつわるさまざまなテーマを歴史的社会的に考察し、現代における天皇制の反動的本質を明らかにしている。

◆天皇制とは何か

 まず本書のために新たに執筆された序章「天皇制の本質とその歴史過程」を見てみよう。2節では、日本は天皇の祖先が作った国であり天皇が支配する国であるという「国体」観念の虚妄性が暴露され、3節では神話に依拠する皇室の起源の多くが虚構であり(いかなる事実とも関係ないとは言わないが)、神話は古代天皇制国家が完成した天武朝が自己を正当化するために作り上げた物語りにすぎないことが明らかにされる。「つくる会」の教科書は、戦前同様あたかもこの神話を事実であるかのように教えるのだから(「つくる会」の反動どもにとっては戦前への回帰ならなんでも正しいのだ)、そのばかばかしさは言わずもがなである。

 4節では、日本の天皇制がなぜ現代まで生き延びてきたか(誰でも疑問に思うところだ)が解明される。この部分の説明はまことに興味津々たるもので、著者はその理由を、日本民族の歴史的段階への突入が他民族よりもはるかに遅れたことと関係があるという。

 すなわち著者によれば、「その結果、後の時代は前の時代の生産様式を完全に――あるいは基本的に――粉砕し、一掃して、その上に新しい生産様式を確立したのではなく、前の時代の関係を広汎に残したままに、その上に、新しい時代を築き上げたのである。例えば、貴族の時代は武士の時代に移行したが、しかし貴族の時代の遺風を残し、それを引き継いだままで、その上に、封建的関係を築き上げた、というわけである」。古代的生産様式(アジア的生産様式と言われる)の上部構造である天皇制が生き延びたのも、「この島国において、歴史的な発展が世界の他の地域に比べてはるかに遅れて始まり、しかも猛スピードで歴史の諸段階を駆け抜けてきたということの、一つの結果とも言える」というのだ。

 5節では武士階級の時代になってから武士たちは天皇や皇族を自己に都合のいい道具として、また名ばかりの権威として利用したに過ぎないことを例証している。明治維新はこの過去の遺物に過ぎない天皇が権力に復帰したとされるが、共産党系の講座派の学者たちは、この明治維新後の天皇制国家をヨーロッパの絶対王制と同じものとする。しかし薩長の権力者たちは天皇を新しい統一国家の象徴、旗印として利用したにすぎない。著者は、絶対主義権力は徳川幕府がその役割を担ったのであり、「ある意味で、徳川幕府はヨーロッパにおける絶対王制であり、そのいわば日本的変種であったと言える」という注目すべき発言をしている。

 6節では、戦後、天皇制が危機に陥ったとき歴史学者の津田左右吉らによって持ち出されたものであるが、天皇制を文化的、精神的な権威として擁護する見解が考察される。津田によれば、天皇は古代から現代まで自ら政治を行ったことはなく、その時代の支配者の背後にあって精神的、道徳的な影響を及ぼし常に人民の幸福や利益を考えてきたという。津田はこの「二重政体」は他国には見られない日本独自のものであって、天皇はいまだかつて武力で日本を統一したことはなく、常に権力者や人民に対して精神的、道徳的な権威として存在してきたとする。

 しかしこの見解が歴史的事実と異なることはあまりにも明らかだ。古代天皇制が完成した天智、天武朝の権力支配が天皇の親政でなかったなどとどうして言えるのか(一体誰が政治を行ったのか?)。あるいは大和政権が九州や山陰、東北の地方権力を武力で制圧していった事実は今日歴史的に実証されている。また律令制下の租庸調の苛酷な搾取は、多くの人民の逃亡を引き起こしたほどなのだ。

 歴史的にみれば「二重政体」などはほとんど(武家政権の初期には言えるかもしれないが)存在しなかったのであり、津田らはかような架空話を持ち出すことによって天皇制の人民に対する敵対性を糊塗しようとしているのである。特に「二重政体」ということで軍部ファシズムから天皇の責任を免罪できると考えているとしたら大間違いである。軍部はその野望実現のために天皇を大いに利用したわけであるが、かりに天皇が軍部の野望を阻止する気持ちがあったとしても(それは疑わしいが)、軍部独裁を許し国民に大いなる惨禍と不幸をもたらした責任は免れることはできない。

 津田の主張はブルジョア自由主義お好みの見解であり、同種の主張は手を変え品を変え再生産されてきている。著者の津田批判はこうしたブルジョア思想のナンセンスさを根本から明らかにするのである。

◆第一章「憲法を変えるならまず天皇制の廃絶だ」

 ここでは現憲法のなかで天皇制がいかに民主主義にそぐわず異常なものであるかが、あらゆる方面から徹底的に考察される。

 憲法改正が問題になっていながら、天皇制そのものの存廃の論議がほとんどどこにも起こっていないということほど、ブルジョア自由主義の堕落を象徴するものはない。絶対天皇制が象徴天皇制としてであれ戦後残されたのは、アメリカ占領軍による日本統治を円滑ならしめるための政治的意図からでたことは今日では知らないものはない。自民党が自主憲法の制定を謳い、憲法からアメリカの影を払拭したいとするならまずもって象徴天皇制の改革から手をつけてしかるべきであろう。ところが象徴天皇制の利用価値を知っている自民党は天皇制には一指も触れないのだ。

 皇太子妃雅子にいまだ男子が生まれていないことからブルジョアマスコミはこぞって女帝容認論を打ち出している。その論調はどこも同じで、いわく男女平等の世の中なんだから(本当か!)女帝も当然の話だというわけである。しかしちょっと待ってほしい。そもそも男女平等というのは人間みな平等というところから出てきているのだ。憲法第十四条第一項を確認しよう。そこにはこうある、「すべて国民は、法の下に平等であって人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。象徴天皇制であろうが絶対天皇制であろうが、天皇制や王制の本質は、身分であり門地であり血統である。皇室とは貴族の頂点であり(戦前皇室との関係の深さが貴族の序列を決定した)、その貴族制度を憲法は禁止しているのだ(十四条第二項)。

 どうしてこのような矛盾だらけの制度が民主憲法の中に存在するのか。それは先程言ったようにアメリカの占領政策であり、それを日本の支配階級が支持したからである。「国体はゴジされたぞ、朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」のプラカードを掲げた頃の日本人民は、天皇制がなくなっても何とも思わなかったのではないか。天皇制といったものは何ら日本人民の語るべき伝統や文化といったものではなく、逆にこのような時代錯誤の反動的な制度を持っていることを日本人民は恥としなければならないのだ。

 共産党は戦前、日本人民の諸悪の根源として天皇制の打倒をスローガンに掲げたが、その“輝かしい”伝統も忘れて、現在では国民が天皇制廃止に合意するまで天皇制を維持するなどと国民の迷妄に追随するだけの情けない“前衛党”に成り下がってしまっているのだ。

◆第二章「天皇制の矛盾は“女帝”では解決しない」

 女性天皇を容認することはそれを主張する者が漠然と考えているように単純なことではなく、逆に“至尊の”天皇制を崩壊させることにもなりかねない重大性を含んでいると著者は言うのだ。というのは「万世一系」の天皇制、「国体」の精華とは、百二十五代二千六百年余の間、天皇の系統が男系として連綿と続いてきたことにこそある。ここにこそ天皇家が世界に例のない純粋種であり稀な貴種である理由がある。ところが女性天皇を認めるということは、天皇家の棟梁の血が女の血でもいいということになり男の血に無上の価値を置いた天皇制の意義がなくなってしまうことである。はっきり言えば我々庶民の血の“雑種”性と変わるところがなくなるわけだ。

 もっとも労働者には、男の血であろうが女の血であろうが、およそ血統や生まれなどをありがたがることは一切無縁である。「万世一系」というなら現在生きている者なら誰にでも言えるわけで、どんな人間も古代の昔から父親の系譜をもっている(そうでなければ現在の存在はない!)。

 血の純粋性や濃さといったところで親をさかのぼれば血は薄くなっていく割合は誰でも同じだ。現在の日本人にしたところで朝鮮・中国系、北方系、南方系などあらゆる人種民族の混血種ではないか。天皇家の始祖も恐らくは朝鮮半島から日本列島に渡来した、農耕や金属器の高度な文明をもった人々であっただろう。彼らは土着の部族を服従させそして融合していったと思われる。天皇家の純血性といったものほどナンセンスなものはないのだ。

 この第二章では、「燦然と輝く女性天皇」などとくだらないことをいっている作家の高樹のぶ子や「つくる会」の会長の八木秀次(彼に対する批判は第六草で全面的に行われる)、また男子皇統しか認めない『産経』の論説委員の石川水穂、そして男であろうと女であろうと構わない、天皇制の維持が問題だとする評論家の西部邁が徹底的に批判される。これら論者の主張はいずれも他愛ないものであるが、こういった連中が民主主義だ平等だなどと知ったかぶっているのだから呆れた話だ。著者の批判はブルジョア論壇のくだらなさを嘲笑し胸のすく思いがする。

◆第三章「女帝可否論争と天皇制の起源」

 ここでは初めに明治初期に巻き起こった女帝可否論争が紹介される。この論争は自由民権家の沼間守一らが結成した嚶鳴社の主催になるもので、その討論内容は明治憲法作成に当たって伊藤博文も参考にしたと言われる。「万世一系」の絶対天皇制が制度的に確立される以前の、自由民権運動の中での討論だけに、その主張は徹底しており現在の女帝論争の原型を見るようだ。またこの論争の最後に紹介される“有名な”熊沢天皇事件は、読者を笑わせるが、天皇制というもののナンセンスさを改めて感じさせるものだ。

 この第三章で興味深いのは、古代女性天皇の歴史的社会的な意味を論じ、現代の女帝容認論が天皇制の廃止にも結びつきかねないことを明らかにした諸論文である。

 「万世一系」の天皇制は、神武以来男系の直系(嫡系)で継承されてきたとされるが、これは日本書紀による全くのでっち上げである。男子直系は古代天皇制が完成する天武朝で行われだしたものだ。日本書紀や古事記は、男子直系が皇室の伝統のように書いているが、記紀は天武朝が自らを正当化し権威づけるという政治的意図に基づいて編纂されたものであり、すべてが天武朝に好都合に書かれているのである。それが証拠に実在しなかったとされる初代の神武から九代の開化までがことごとく父子相続とされている(存在しない人間たちがどうして相続などできるのか?)。その日本書紀でさえ十八代の履中から二十二代の雄略までは兄弟相続になっているのだ。

 また著者は、古代天皇制確立期の持統・元明・元正という女帝が男子嫡系の“中継ぎ”にすぎないという、井上光貞の見解に疑問を呈している。というのは、これらの女帝は中継ぎといった形式的な天皇ではなく、権威と権力を備えた実力ある天皇だったからである。これらの女帝の輩出は単なる偶然ではなく、広く社会的な基盤があるのではないか、これが著者の問題意識である。

 天武朝の後も男子嫡系は必ずしもうまくいかなかったところを見ると、中国の律令制をみならったこの制度の導入は日本社会にとっていささか早すぎたといえるかもしれない。しかしその後古代的生産様式が解体に向かい、私有財産制度が発展し始めると男子嫡系主義もまた強固な基盤をえる。男子嫡系主義は階級社会と私的所有と不可分に結び付いているからである。したがってこのブルジョア社会で、男女平等の時代だから女帝でもいいというなら、必然的に人間はみな平等なのだから天皇制もなくてもいいということになるのだ。女性天皇を容認するものはこの結論をも容認しなければならなくなるということをとくと自覚しておくべきであろう。

◆最後に

 「天皇の“道徳性”と昭和天皇の“戦争責任”」と題する第四章は、侵略戦争とその敗戦という責任を誰よりも一番に負わねばならない昭和天皇が、退位もせずに戦後も象徴として居すわったという道徳性のなさ、その厚顔無恥ぶりをあますところなく告発している。第五章は、その昭和天皇を免罪した、勝利した帝国主義国家による東京裁判の茶番を暴露している。最後の第六章は、空虚な「皇統」概念を持って回り、荒唐無稽な女帝論批判を行っている「つくる会」会長の八木秀次を完膚無きまでに批判している。

 ここでは紹介しきれなかったが、本書にはその他天皇制に関するさまざまな問題が明快かつラディカルに論じられている。本書を読むことによって読者は、時代錯誤の天皇制に対する確固とした批判的な視点を得ることができる。政府やマスコミによるあの手この手の天皇制キャンペーンが繰り広げられ、皇室に対する幻想がふりまかれている。『海つばめ』の読者のみなさんが本書を働く人々の中に持ち込み一人でも多くの読者を獲得されることを望んでやまない。

菊池里志

『海つばめ』第989号2005年6月26日


痛快な林氏の新著
――反動派との闘いの出発点に――

 林紘義氏の新著『憲法改定の最優先課題――女帝もいらない 天皇制の廃絶を』を読んだ。

 収められた論文は序章をのぞきこの数年来、本紙に掲載されたもので、すでにその時々に一度は読んだものだが、今回改めてこうして400頁になんなんとする単行本にまとめられたものを前にすると、やはり個々の論文とは違った新たな迫力が感じられ、圧巻である。

 この本がまず我々を魅了してやまないのは、皇位継承者問題で天皇制が断絶の危機にさらされる中で持ち上がってきた天皇と天皇制にかかわる昨今のブルジョアジーや反動派の主張や策動に対して、彼らの具体的な言動を捉えて彼らの論理を具体的に徹底的に追及し、その矛盾や荒唐無稽や反動性を完膚無きまでに暴き出していることである。

 ブルジョアジーや反動派にグーの音も出させないこれらの批判の切れ味の鋭さには改めて爽快感を覚えながら読み進んだが、この本のいっそうの真骨頂は浮上する女帝容認論や改憲論を取り上げ、その矛盾や痛いところを衝き、彼らと具体的に切り結びつつ、労働者階級に断固たる反撃を提起していることであろう。

 例えば第1章は「憲法を変えるならまず天皇制だ――後継者もいないことだし」と題して、自民党の改憲策動を捉えてこう論じている。

 「我々は一般的に、憲法改定に反対するものではなく、また現行の憲法についていえば、さらにそうである。こんなものを後生大事に守ろうとする共産党や社民党は、ただそのことだけで、自らのプチブル性を暴露するのである。……そしてブルジョア憲法の枠内で、即時に実行されるべき改定があるとするなら、それは、完全に時代遅れのがらくたであることを暴露しつつある“日本的”王政つまり天皇制の廃絶であって、現在では、これを抜きにした憲法改定といったものは本質的にナンセンスで、反動的なものであり、反動的なものにしかならないのである」

 そして、皇室に天皇の地位を継承する男子が生まれず、皇統断絶の危機が訪れている今こそ、天皇制を“自然死”させる絶好の機会であるとして、ブルジョアジーの改憲策動をいわば逆手にとって、天皇制の廃止を断固として突きつけ、迫っていく。

 女帝論についても同様で、ブルジョア世論はこぞって男女平等論を持ち出して女帝容認を唱え、正当化し、天皇制の護持を図ろうとしているが、男女差別を問題にするのなら、なぜさらに進んで人間差別の最たるものである天皇制を問題にしないのか、差別をなくせと言うのなら天皇制の廃止にまで進まなくては一貫しないではないかと女帝容認論の矛盾、そのいい加減さを衝いて、天皇制廃止の闘いを呼びかける。

 まさにこうした闘いによってこそ我々はブルジョアジーの策動と真に切り結び、攻勢的な闘いを切り開いていくことができるであろう。これは具体的な事態や問題に対して機械的で紋切り型の対応で満足するのではなく、マルクス主義の観点からそれに具体的に接近し、切り込むことで得られる闘争戦術である。こうした観点からブルジョアジーの策動に反撃を提起しているのはもちろん本書だけであろう。

 本書の魅力はそれだけではない。著者自身が「我々の天皇制や天皇に対する批判は、単に道徳的なレベルに留まってはならない。我々の批判は歴史的な、そして社会的なものにまで進んで行かなくてはならない」と強調しているように、天皇制についての著者の歴史的な評価もまた大変興味深いものである。

 本書には天皇制の起源を著者の言う古代的生産様式(一般にはアジア的生産様式と呼ばれているもの)に求めるいくつかの既発表の論文も何編か再録されているが、今回新たに書き下ろされた「序章」は「天皇制の本質とその歴史過程」と題して、天皇制の起源やその歴史的な変遷の分析に当てられている。

 ここで注目されるのは、反動派が有り難がって持って回る「万世一系の観念」と関連して、「古代生産様式の上部構造」であった天皇制がなぜ資本主義の現代まで“生き延びて”来ることができたのかと問い、「この問題に対する一つの説明は、日本民族が“歴史的な”段階に突入する段階において、世界の他の諸民族よりもはるかに遅れを取った――その意味では、世界の歴史的発展の中心にではなく、そのはるか外縁に位置していた――、ということと深く関係しているであろう」として、次のように書いている点である。

 「しかし、他の地域に遅れ文明の中に足を踏み入れた日本は、それだけ一層、速いスピードで古代的生産様式や封建的生産様式などを駆け抜けてきたのであって、そこの過程で“古代的な”生産様式(……)さえ、その残滓さえ“引きずって”来たのである。とするなら、天皇制が生き延びてきたのも少しも不思議ではなく、一定の歴史的、現実的な根拠があったということであろう」

 「日本の歴史的発展の特殊性」についてのこのような指摘もまた興味深いものであり、日本史の解明に新たな一石を投じたものといえよう。

 こうした意味で本書は歴史理論的にも大いに刺激を与えるものであるが、しかし本書を一言で特徴づけるならまさに「闘争の書」であって、反動陣営の危険な策動に反撃し、それを粉砕したいと願うすべての人々にとってこの上なく強力で鋭い武器を与えてくれる。

 そして折しも憲法改定、教育基本法改定などをテコにしたブルジョアジーと反動派による天皇利用の国家主義的策動がいよいよ本格的に始まろうとしているこの時期に、本書が出版されたことはまことに時宜を得たものである。

 本書を労働者大衆の間に可能な限り広く持ち込み、普及させ、ブルジョアジーと反動派の策動に対する新たな闘いを作りだし、高揚させていくその出発点、契機として徹底的に活用することを呼びかけたい。

(WM)

『海つばめ』第993号2005年7月31日

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