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最高裁:血縁ない子を認知…無効請求認める

2014/05/21

最高裁:血縁ない子を認知…無効請求認める

昨年から続く、生物学的に血縁関係のない者を親子とすべきかどうかシリーズの新しいバージョンである(最高裁第三小法廷平成26年1月14日決定)。

実子ではないと知りながら自分の子として認知した後に、認知者自身が無効を求められるかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は14日、認知者側の請求を認める判決を言い渡した。
http://mainichi.jp/select/news/20140114k0000e040148000c.html

「血縁上の父子関係がないことを知りながら上告人を認知した被上告人が,上告人に対し,認知の無効の訴えを提起した事案」である。

判決の原文はこちら
http://kanz.jp/hanrei/data/html/201401/20140114111725.html

まず民法の規定を見てみる。
第785条 認知をした父又は母は、その認知を取り消すことができない。
この条文は、普通に、認知者自らがいったんなした意思表示は、簡単かつ勝手に取消しないし撤回せらるべきでない趣旨を規定したもので、本条により認知は慎重に行われるべきことが期待されていると説明されている。ここで注意したいのは、この条文で制限されているのは「取消し」であって「無効の主張」ではないということである。法律上、ある行為の取消しと無効は明確に区別されていて、それなりに効果も異なる。簡単にいうと、取消しは法律上取消権があるとされた者のみが主張でき、効果論においては、その行為は、取り消されるまでは効果を持ち、取り消されて時から過去に遡って遡及的に効果がなかったことになる(取消前に現れた第三者との関係で意味がある。)。これに対して無効は、基本的に誰でもその行為が無効であることを主張することができ、効果論においても、それは初めから誰に対する関係においても無効なものであったと扱われる。例外もいろいろあるが、原則的な考え方は以上のとおりである。認知の場合、本当は条文はないんだが、仮に条文があれば、認知は取り消すまでは有効で、取り消してから過去に遡って無効となり、他方、その認知が初めから無効だとすると、「父」と「子」の間に有効関係が存在した期間は法律上一度もないということになる。
もう一つ条文、その次の
第786条 子その他の利害関係人は、認知に対して反対の事実を主張することができる。
これは、認知が真実に反する場合に、認知無効の主張を認めた規定である。

関連する規定からみれば、785条は認知の取消しを制限したものであり、認知した者が無効の主張をすることまでは制限していない。786条も認知の無効を制限したものではない。むしろ同条は認知の無効の主張をすることができる者を「子その他の利害関係人」としており、認知をした父親を利害関係人ではないというのは無理くさい。実際、今回の判決はそういう条文解釈をしている。
文言解釈はそれでよいとして、問題は、それで妥当な結論が得られるのかどうかである。今回の最高裁判決の上告人(子ども)の主張は、「認知者自身による認知の無効の主張を認めれば,気まぐれな認知と身勝手な無効の主張を許すことになり,その結果,認知により形成された法律関係を著しく不安定にし,子の福祉を害することになるなどとして,血縁上の父子関係がないことを知りながら本件認知をした被上告人がその無効の主張をすることは許されない。」というものであった。これはまあそうだろう。子が頼んだわけでもないのに、自分で勝手に認知しておいて、それを前提に子どもが生活を築いたところで認知は無効だと言い出されたときの子どもの受ける不利益は想像にあまりある。自分の子だと信じて認知したのならともかく、初めから自分の子でないと知りながら認知したやつがこういうことを言い出すというのは無責任にすぎるというものだろう。在日韓国人、朝鮮人に対して、責任ある者が「イヤなら帰れ」と言えないのと同じである。
最高裁判決ももちろんこの点は考慮していて、「具体的な事案に応じてその必要がある場合には,権利濫用の法理などによりこの主張を制限することも可能である。」と言っている。これは、すでに「「そして父になる」を法律的に分析する。」と「「そして父になる」を法律的に分析する。の続きの続き」で説明した。
甲がその戸籍上の子である乙との間の実親子関係の存在しないことの確認を求めている場合においては,甲乙間に実の親子と同様の生活の実体があった期間の長さ,判決をもって実親子関係の不存在を確定することにより乙及びその関係者の受ける精神的苦痛,経済的不利益,甲が実親子関係の不存在確認請求をするに至った経緯及び請求をする動機,目的,実親子関係が存在しないことが確定されないとした場合に甲以外に著しい不利益を受ける者の有無等の諸般の事情を考慮し,実親子関係の不存在を確定することが著しく不当な結果をもたらすものといえるときには,当該確認請求は権利の濫用に当たり許されないものというべきである(最高裁平成18年7月7日判決民集60巻6号2307頁)。
というやつである。不都合があるなら、無効の主張を権利濫用で退けることもできるんだからいいでしょということらしい。実際、今回の事件の場合、「父親」と子は平成17年10月から共に生活するようになったが、一貫して不仲であり、平成19年6月頃,「父親」が遠方で稼働するようになったため、以後,別々に生活するようになった。「父親」と子は、その後、ほとんど会っていない。等と認定されており、権利濫用法理が使わなければならないような事案ではなかったのだろう。今回の事件は、認知の無効の主張が許されると、子が日本国籍を失うというシビアな事件だったが、そのような渉外家族関係で無効の主張が濫用とされた場合の子の国籍はどうなるのだろう?ちょっと興味がある。 

この判決をしたのは最高裁の第三小法廷である。ということは、ついこないだ、性別変更をした男性の妻が出産した子どもを性別変更した夫の子と認めた決定(平成25年12月10日決定。二宮周平「家族法第4版」、長男の戸籍「嫡出子」に=性別変更の父「まだ不安」-兵庫参照)をしたのと同じメンバーがこの決定をしたということだ。
ツンデレがこのニュースをネットで見たとき、まず思ったのは、平成25年12月10日決定の多数意見の誰が転んだのかということだった。もちろん両者は別の判断だから、あっちで多数意見はこっちでは反対意見にならないと矛盾しているというようなものではない。ただ、平成25年12月10日決定は、長男の戸籍「嫡出子」に=性別変更の父「まだ不安」-兵庫で検討したように、結局、結論を左右したのは、生物学的つながりのない者同士の親子関係をどの程度認めるか、すなわち、DNAをどの程度重視するかの価値観の違いだと考えているので、それと同じく「生物学的に血縁関係のない者を親子とすべきかどうか」の範疇に属する本件でもそれと同じような考慮が働いたはずと考えたのだった。
そして予想どおり、判決原文をみると、前回少数意見で、DNAを重視する大谷裁判官と岡部裁判官は多数意見で、前回多数意見だった3人は、大橋裁判官は反対意見、寺田裁判官は意見(本件の特殊性から結論のみ多数意見と同じ。特殊性がなければ大橋裁判官と同じく反対意見)、木内裁判官は補足意見と、今回の決定についてはいずれも一言あった(すんなりと受け入れられるものではなかったということだろう。)。
それぞれの意見の詳細は原文にあたってもらうしかないが、ツンデレなりの要約をすれば、大橋裁判官の反対意見は、上告人の上告受理申立て理由と同様、勝手に認知された子どもの立場の不安定さを重視するもの。寺田裁判官も結論としては同じ。認知した者が取消しをすることができないという785条は、子の身分関係の安定を図るものだから、その趣旨からすれば、認知の取消しのみならず無効の主張をも制限するものだと解すべきだとか、786条で認知に対して反対の事実を主張することができるとされている者は、「子その他の利害関係人」となっており、例示の中に利害関係人に最たる者である「認知した父親」が明記されていないのは、「認知した父親」が無効の主張をすることが許されない趣旨なんだ、などという条文解釈も示されている。実際、このような解釈を示した大審院時代にもあり(大審院大正11年3月27日民集1巻137頁)、そう邪険に扱うような解釈ではなかったのである。
寺田裁判官が挙げる本件の特殊性は、子の血縁上の父親がフィリピンにいることが判明していたことである。つまり認知を有効としてしまうと、子に対する父親が2人いることになってしまうじゃないか、それはおかしいでしょというわけである。前回の補足意見といい、親子関係の寺田裁判官の補足意見はなかなか読ませるものがあるなあと感じる。
そして最後に木内補足意見である。実は、ツンデレにはよくわからないところがあるのだが(特に、代理母が自分の卵子を使って生んだ子どもについて、卵子提供母と子どもの親子関係を否定した最決平成19年3月23日民集61巻2号619号をひいて、「親子関係は一義的・一律に決せられなければならない」、これからすれば意思表示に重大な過失があって錯誤無効の主張が制限されるのもおかしいという趣旨のところ。実は本当にそういう趣旨なのかどうかも自信がない。)、去年の決定との比較でいうと、日本の民法は、婚姻した男女間の子かどうかが問題となる場合については嫡出否認制度を設けて、効力を否定する場合を厳格に限定しているのに対し、婚姻していない男女の子かどうかが問題となる場合である認知については、民法786条が主張出来る者を利害関係に広く認め、しかも期間制限もないことを指摘しているのが目に付く。木内裁判官としては、結婚している男女間の場合としていない男女間の場合は別だということだろう。

今回も小法廷の決定は3対2のきわどい決定であった。いったん最高裁決定となった以上は、今後実務(戸籍実務も含めて)はこの決定に従って処理されることになるが、この決定は去年の決定とは逆に、いわば「DNA重視派」が多数意見となった事件であり、いずれ「DNA重視派」と「DNA非重視派」のどちらかに収斂されるのではないかという気がするがどうだろうか。
ツンデレは、先年亡くなった日本民法学会のドン星野英一教授が、東大の講義録か何かで、「財産法の重要な問題に対する判例は昭和50年ころまでで出尽くしているのに対して、この点、家族法はまだ遅れている。」というようなことを言っていた(あるいは「書いていた」)のを記憶しているのだが、ここんところの親子関係の裁判例ラッシュは、星野教授の発言が事実だったのだなあと改めて思わせる。
追記:blog書いてから岡部裁判官の「親族法への誘い」見たら、「認知した本人も(認知無効の訴えを)提起できると考えます。真実の親子関係に合致することが子の利益につながるからです。」と書いてあるな。バリバリのDNA原理主義という感じ。

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