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古典文学

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関宿 銅脈先生

投稿日時:2014/05/09(金) 09:09

東海道の昔の話(24)
関宿の旅人模様 愛知厚顔  元会社員 2003/9/28投稿
   
 関の宿場町は江戸期に最盛期をむかえた。
 この町は東海道五十三次の中でも五本の指にはいる宿場として、参勤交代の殿様、伊勢参りの旅人,江戸と京阪神を行き来する商人、学僧などで物凄く繁盛した。記録では東と西のわずか半里(1,8km)の間に本陣、脇本陣が四軒、旅篭四十二、飲食店が九十九軒もあった。
 いまこの町では熱心に町並み保存が図られている。往還を歩いてみると、電柱やTVアンテナの整理がすすみ、二階の壁面に虫籠窓のある家、ベンガラを塗装した見事な格子、馬をつないだ環金具が残る柱など、いずれも古い宿場町の名残を宿し、非常に貴重な建物群に、いまさらのように驚くのである。

広重の「関本陣早立の図」

 通りの途中に川北本陣、伊藤本陣、西尾脇本陣がある。
歌川広重の描く「関本陣早立の図」は川北本陣がモデルだといわれるが、朝早く出立しようとしている慌しい様子がうかがえる。
浅井了意は「東海道名所図会」の中で
  『馬士(うまかた)の挑み合ふは常にして、静かなる
   を変態とす。かたわらに終日(ひねもす)労する馬は、
   これを聞きながら眠りけるもまたおかし…』
 馬引き人夫たちが大声で言い争っているのはいつものこと、静かなのはかえって変だ。その争いのそばでは馬は悠々と居眠りをしている。騒がしく賑わってている往還の情景がよくわかる。

 この賑わいは享和三年(1803)には、百軒ちかくもの店が増えて軒を連ねた。飯盛女や宿女もだんだんと増え、遊女屋も賑わってくる。
幕府はなんども禁止令を出して、華奢遊戯の類を取り締まったようだが、実際はあまり効果が上がらなかった。

 ”関は千軒、女郎屋は估券、女郎屋なくては関たたん”
                      〔はやり歌〕
 関の宿場は多くの家並みがあり、遊郭は繁盛していて倒産なし、 この遊郭がなかったら関の宿場は成り立たない。
この唄が本当の実態だったのかも知れない。 ウソか本当か、最盛期には客相手の商売女が二千人もいたという。 
 このころを詠まれた狂詩がある。
     関宿   銅脈先生(畠中観斎)
       関に泊まりて招嫖(オジャレ)を買う
       地蔵も及ばず招嫖のよそほひ
       買はんと欲して相談約束成る
       寝るところ布団わずかに一枚
       昨夜の幻妻いま見れば
       目玉飛び出て頬、蟹のごとし     
「おじゃれ」とは遊女のこと、化粧した遊女、夜の薄明かりではまるで関の地蔵様のような美女に見えた。薄い布団一枚で一夜を共にしたあと、朝になってよくよく見ると、目玉が飛び出て頬はまるで蟹のようだ。よくもまあ詠んだものである。

 鈴鹿馬子唄に出てくる関の小万。彼女は仇討ちの列女なのだが、遊女だった別の小万も唄に出てくる。さらに近松門左衛門の浄瑠璃〔丹波与作待夜の小室節〕にも遊女小万が登場する。
      与作思えば照る日も曇る
            関の小万の涙雨
      馬はいんだにお主は見えぬ
            関の小万がとめたやら
 とにかく彼女たちの猛烈な客引きと、商売熱心さには旅人もうんざりしただろう。
   泊まれとて人を導くたはれ女の
      笑みこそ関の地蔵顔なれ      吾吟我集

   関寺の門前見ればいまとても
      わら屋を立てて小町ありけり    石田未徳      

   関守る廓に空音の四つも打ち        柳多留

   小万を寝せて実盛の物がたり        柳多留


 『ほどなく関の地蔵に着く、この宿のならひとて、顔白くこ
  しらへ、まことの地蔵顔したる女どもの錫杖にあらで、
  杓子と云う物を手ごとに打ちふって
   「旅人とまり給へ、とまり給へ、労扶むく
    日の暮れぬ、これより先に里はなし、通すまじ」
  と、声ごえに云ふ。
      梓弓はるばる来ぬる旅人を
          ここにて関の地蔵顔する     』
           「元和元年(1615)東海紀行」より。
もう日暮れが近い。ここから先には泊まるところもないよ…、女たちは道に立ちふさがり、杓子を叩いて強引に客引きをしている。

また夫婦だけで営む小さな宿では、つぎのような情景がくり広げられた。
〔狂歌旅枕〕天和二年(1682)刊行の書物に出ている話。
 『関に泊まり朝出立しようとしたところ、雨が降り出した
  ので宿を出るのを躊躇して
     今日の関せき止め給う石地蔵
        いざ貸したまえ伊勢菅笠を
          馬の刻より雨止ましまま出ん
  馬の刻とは正午のこと、この句を聞くと宿の主人はむっと
  した様子をしたので
     雨止むにそなたが行こう追いやるは
           天と地とほどに近いとぞ思う
  と詠み直したところ、何と思ったのか彼は機嫌を直して作
  り笑いをした。そこでまた一句
     にこにこと笑い給うは所なる
          お地蔵顔とて人も誉めなん    』
 
 この人は結局雨が止むのを待って出立したので、かなり遅くなりつぎの坂下宿でも宿泊することになった。
 『日が暮れて坂ノ下で泊まったところ、主人夫婦が二人で
  接待してくれ、ご馳走や酒の相手をしてくれた。この夫婦
  は共に酒をよく飲んだ。そこで
    酒ふりの同じようなる夫婦おば
         いとこにとこそ人は云うめれ
  と詠んだ。この主人夫婦はまったく酒豪、あまりにもよく飲むので
    坂ひがし北も南も見たけれど
         かか(女房)ほど酒を飲む者はなし
  と云ってやったところ、笑いながら女房が衣を脱ぐ。
    取り外す かかの部屋こそ音高し
       匂えば とと(亭主)は顔わきにする
  夜が明けて出立しようとすると、女房が出てきて
    「夕べのことが恥ずかしい」
  と云うので
    昔よりいまの世までも世話に言う
         出もの腫れものところ嫌わず   』

 じつにゆったりとした旅を楽しんでいる様子がよくわかる。昔の町並みが復活した関の町
いまの時間に追われて急ぐ旅のなんと空しいことだろうか。 
昔の旅が実にうらやましく感じられる。そしてこの旅人の豊かな頓智と詩想は驚くばかりである。 


 参考文献  「狂歌旅枕」「俳諧五十三次」「東海紀行」
       「東海道名所図会」

漢詩にも狂詩というものがあり「寝惚先生文集」

投稿日時:2014/05/09(金) 09:04

和歌に対して狂歌、俳句に川柳と日本人は滑稽、パロディが大好きですが、漢詩にも狂詩というものがあり、江戸中期以降人気を博したようです。狂詩は押韻、平仄(あまり厳密には守られなかったよう)、対句などの形式上の約束事はすべて漢詩に従いますが、使用される用語は当時の日本の俗語、日常語を用いて卑俗な事柄を詩にして、そのおかしさを強調したものです。太田南畝が19歳で出版した「寝惚先生文集」がどうも最初のようです。これによって無名だった南畝は一躍戯作界の寵児ともてはやされるようになります。その後、これに刺激されて、一流の漢詩人が狂詩を作って出版し、流行するようになります。ともあれ、こういったものが面白がられたことは、当時、一般庶民に到るまで漢詩の知識が普及していたのでしょう。

太田南畝 江戸見物

江戸膝元異在郷  江戸の膝元 在郷と異なり
大名小路下町方  大名小路 下町の方
二王門共中堂峻  二王門は中堂と共に峻(たか)く
両国橋踰御馬長  両国橋は御馬で踰して長し
懸値現金正札附  懸値現金 正札附
小便無用板塀傍  小便無用 板塀の傍
吉原常与品川賑  吉原 常に品川と賑やなり
儻是狂言三戯場  儻(もし)くは是 狂言の三戯場(さんしばい)

三戯場:中村座、市村座、森田座の三歌舞伎劇場


太田南畝 「通詩選笑知」より
題変士別遊 (変士が別遊に題す)   無馳走

美人不相答  美人 相答(しら)わず          遊女は返事もしない
一坐為金銭  一坐 金銭が為なり            嫌な客と一緒に居るのもお金のため
莫謾愁呑酒  謾(まん)に酒を呑むを愁うること莫かれ  相手にされず酒を飲むばかりなのを嘆きなさんな
閨中自有伝  閨中 自ら伝有り             床に入れば女を夢中にさせる秘伝があるのだから

変士:浅黄裏、田舎侍を意味する、嫌な客  別遊:特別な遊び  無馳走:無愛想、賀知章のもじり

これは賀知章の「題袁氏別業」のパロディです。
原詩は  主人不相識  主人 相識らず
    偶坐為林泉  偶坐するは林泉が為なり
    莫謾愁沽酒  謾に酒を沽(か)うを愁うること莫かれ
    嚢中自有銭  嚢中 自ら銭有り

銅脈先生 「寄花子」 (花子に寄す)
 本名、畠中観斎、京都聖護院に仕える寺侍であった。十八歳で狂詩集「太平楽府」を発刊する。紹介した詩はその中のもの。十八歳でこれだけペーソスに満ちた詩を作れるとは恐ろしく早熟な少年ですね。題の花子とは当時の中国の俗語で乞食の意。

裾断薦壊昼尚寒  裾断(き)れ薦(こも)壊(やぶ)れて 昼尚寒し
今朝無貰腹中乾  今朝 貰い無くして 腹中乾く
回頭千手観音落  頭を回らせば 千手観音落つ
閑向日方子細看  閑に日方に向いて 子細に看る

後半:頭を回すと虱(千手観音)がパラパラと落ちる。その小さな虱を取って、日なたにかざしてしげしげと看ている。零落の人生の一こまが鮮やかに切り取られていますね。

安穴先生 「江戸者嘲京」
 京都の詩人、中島棕隠の狂詩作者としての号。この先生の狂詩はどうも先の銅脈先生などに比べると表現があざとすぎる気がします。あるいは棕隠の性格が出ているのかも。

木高水清食物稀  木高く水清くして食物稀なり
人人飾表内証晞  人人 表を飾って 内証晞(かわ)く
牛糞路連大津滑  牛糞の路は大津に連なって滑らかに
茶粥音向叡山飛  茶粥の音は叡山に向って飛ぶ
算盤出合無立引  算盤出合 立引無く
筋壁連中仮権威  筋壁連中 権威を仮る
女雖奇麗立小便  女 奇麗と雖ども 立小便
替物茄子怕数違  替物の茄子 数を違えんことを怕(おそ)る

後半:人々のつき合いは算盤づくで、義理とか心意気はなく、高貴な屋敷に仕える公家侍(位は高いが貧乏)は権威をかさに威張っている。
女性は奇麗だが立小便がつや消し。肥汲みの賃に貰う茄子の数が数が間違っていないか気にしているしみったれぶり。
半可山人 「送友人之聟養子」 (友人の聟養子に之くを送る)
 本名は植木玉涯、幕府の大番与力であった。本人も聟養子であったので、この詩は自分のことを詠んでいるのかもしれない。

両親気質自難量  両親の気質 自ら量り難く
況復女房家附娘  況んや復た 女房 家附の娘
能思肝腎辛抱処  能く思へ 肝腎辛抱の処
三合不曽持粉糠  三合 曽つて粉糠を持たず
両親や女房に辛くあたられても、そこは辛抱のしどころ。
粉糠の三合も持っていないのでは養子に行くのもやむを得ないねえ。


参考書
 寝惚先生文集 揖斐高校注 新日本古典文学大系 岩波書店
 太平楽府他 日野龍夫・高橋圭一編 東洋文庫 平凡社

狂詩集コレクション

投稿日時:2014/05/09(金) 08:53

新収 狂詩集コレクション
文学部教授 鈴木 俊幸  この度中央大学図書館で狂詩集69点78冊(狂文集 5点5冊を含む)を購入した。斎田作楽編『狂詩書目』 (1999年、青裳堂書店)は、編者積年の収集データ に基づく労作で、現在もっとも充実した書目である (本稿も大いに参照した)。ここには128点が著録さ れていて、この数字は今後動く可能性が少ないと思 われるが、本コレクションはこの約半数を網羅して いる。本コレクションの意義と特色は、狂詩という 文芸、また狂詩集という書籍の歴史を概観しうる網 羅性にある。全てに言及はできないが、狂詩という ジャンルの流れを追いながら紹介していきたい。な お書名を挙げたものは全て今回収蔵のものである。 ■■二大家による風雅  本歌に対して狂歌、正格の漢詩に対して狂詩が ある。正格を外した戯れの詩作は、古来より珍しく はない。しかし、文芸様式の一つとして定着するに は寝惚先生と銅脈先生の登場を待たなくてはならな かった。  『寝惚先生文集 初編』は、寝惚先生こと大田南 畝の第一狂詩集で、南畝19歳の明和4年の刊行であ る。作中、世相を切取り人心を風刺する鋭い言葉は、 南畝の天才と、戯作の時代の風を感じさせる。折し も、遊里等の風俗に取材した漢文体の戯文などが徂 徠学の徒の間で流行しはじめ、洒落本はじめ、さま ざまな戯作や戯作的試みが始まる時期である。たと えば、同年釈大我『春遊興』は、小唄の漢詩訳とい う遊びである。   竹にすゝめはしなよくとまる     とめてとまらぬ我おもひといふを訳す   雀躍テ脩竹ニ遊フ   梟然トシテ美風有リ   吾人常ニ止ント欲シテ 思念更ニ窮リ無シ  このような時代の空気の中に南畝の狂詩もあっ たのであるが、この狂詩集は、その評判の力によっ て、戯れの詩文の公刊という遊びを流行させる端緒 となったのである。南畝と旧知の平秩東作の『辛野 茗談』に「ことの外人の意にかなひて、追々同案の 狂詩出たり」とあるように、本書の好評が後続作品 の叢生を促し、狂詩集がジャンルとして固定してい く。好評であった本書は再版が繰り返されており、 諸種の版本が残っている。ちなみに今回購入のもの は再刻本である。  京の銅脈先生は南畝より2歳下、狂詩の技量のほ どはすでに有名であった。先の南畝の第一狂詩集が 出るや、『太平楽府』をもって応ずる。明和6年の この集も評判を呼び、3種の版を確認できる(新収 本に2種あり)。またそれぞれ長期にわたって摺ら れたゆえに、さまざまな形態のものがある。  この東西二人による応酬は、狂詩流行を主導し、 明和・安永期、『娯息斎詩文集』(明和7年、ただし 新収本は再刻本)、『片低先生詩集』(同8年、改題 後印本に『新編太平楽府』あり)などの同種の狂詩 集の続作を促した。また、謡曲の曲名を題にした鏡 間外史『諷題三咏』(同8年刊)や、芝居に取材し た青田先生『戯場篇』(同9年)など、一趣向凝ら したものも出版されていく。  『毛護夢先生紀行』(明和8年)、『勢多唐巴詩』 (同年)、『銅脈先生太平遺響』(安永7年)、『銅脈 先生狂詩画譜』(天明6年)、『太平遺響二編』(寛政 12年)等、銅脈は精力的に自作の出版を行い、その 文名を轟かす。『物沢楼詩集』(安永8年)は、『銅 脈先生太平遺響』の江戸で出版された改竄本で、銅 脈の才と、このようなインチキが商売になるような 狂詩人気とがうかがえる。なお、『勢多唐巴詩』は、 最近蕪村による見返口絵(表紙)の版木が、その版 『文政御蔭参詣詩』とその書袋 『狂詩変』挿絵 『江戸名物詩初編』3 元であった竹苞楼から見付かって新聞記事(9月21 日朝日新聞朝刊)になったものである。  一方南畝は、安永期より流行し始める狂歌の世界 の中心人物として江戸人の注目を集めるほか、洒落 本などの戯作にも滑稽の才を発揮していく。銅脈ほ ど多くの狂詩集を出版していないが、天明期に入っ て『檀那山人芸舎集』(天明4年、新収本は文化12 年補刻後印本)や、「唐詩選」とその注釈書のパロディ である『通詩選』(天明四年)や『通詩選諺解』(同 7年)など、南畝らしい明るく機知的な狂詩集を著 している。 ■■その後の展開  寛政から文化にかけては、狂詩集の出版が少ない。 寛政9年刊『語句通風詩』や享和3年『青物詩選』(新 収本は後修改題本『青物楽府』)、「忠臣蔵」に取材 した『忠詩選諺解』(文化2年)や、青木鼻垂先生『同 楽詩鈔』(同10年)くらいのものである。生酔山人 の『狂詩語』『狂詩礎』(文化10年)は、漢詩作法書 のパロディであり、用語を羅列しただけのものでは あるが、実際的な狂詩作法書でもある。  文政期になると、安穴先生や愚仏先生など、この 道の達者が多数現れて、賑やかな状況が出来する。 安穴先生社中による、文政2年『太平新曲』、同3 年『太平二曲』、同4年『太平三曲』の続作があり、 愚仏先生には、文政3年『続太平楽府』、同5年『鈍 狗斎新篇』(改題本『太平新詠』あり)、同6年『太 平文集』、同7年『続太平文集』、同10年『太平詩集』、 同11年『太平風雅』など諸作がある。  銅脈の『勢多唐巴詩』はお蔭参りをテーマにし た一集であったが、文政13年春より大流行のお蔭参 りに取材した狂詩集が同年に二点刊行されている。 ひとつは『文政御蔭参詣詩』である。新収本は、原 装で書袋も残っている優品である。もう一点は天竺 朗人作『狂詩変』で、「伊勢山田米堂彫刻」と刊記 にあるように伊勢の出版物である。柄杓で施行銭を 受取る抜参りの少年を魁星印に描くなど、細部にわ たって造本に趣向を凝らしているほか、大胆な筆致 の挿絵も面白い。  また、仰山先生『天保山百首』(天保6年)は、 天保2年にできた「新米ノ名所川口ノ山」である天 保山遊歴の狂詩からなる変わり種である。  『唐金義宝詩』(文政2年)は京都の市中風俗を 活写したものであったが、方外道人『江戸名物詩初 編』(天保7年)は、江戸の誇るべき名物や名店を 挿絵を豊富に用いて詠じ上げたものである。巻頭の 「越後屋呉服」という詩を紹介する。   両側一町三井ガ店(たな)      小僧判取リ帳場遥(はるか)ナリ   半時ノ商内何千貫 知ル是レ繁昌江戸ノ花  このような平易かつ温和な詠みぶりによる江戸讃 美は時人の心を捉えたらしく、本書には色摺り挿絵 を持つ初印に近いものから、『江戸名物狂詩選』と いう改題本まで、さまざまな版種を確認できる。狂 詩という文芸は、漢文リテラシーの底上げとともに 一般に広がり、流行の大きな潮流は近代に及んでい く。 ■■明治の狂詩集  このコレクションの誇るべき特色として、明治期 のものの充実がある。幕末における流行に輪をかけ て、市中風俗を鋭く描く狂詩集の出版は明治に数多 い。『日本開化詩』(同9年)や『明治太平楽府 初 ~四編』(明治13~14年)など、開化の風俗は格好 の取材対象となったのである。この文芸がその始ま りより持ち合わせる舌鋒鋭いうがちは開化の明るい 空気だけではなく、その歪みも容赦無くえぐりだす。 また明治期の流行は、この時期の漢文流行と無縁で はない。明治10年代の開版点数は、近世における頻 度をはるかに凌駕している。近世後期において作詩 手引きの重宝として版を重ねた『詩語砕金』は明治 になってもその価値を減ずることはなかったと思わ れる。この書名をもじった真木幹之助著『狂詩語砕 金』(明治17年)は、「詩作平仄式」を最初に据えた あと、作例を示し、そこに使われている語句の平仄 を示している。狂詩作りの基礎的知識と技法が示さ れる一方、作例は明治という時代を鋭く切るものが 多い。「代言人」と題する一首を紹介して筆をとど めよう。   僅ニ数篇ノ法律書ヲ読ミ     代言ノ看板門ニ掲ゲテ居ル   漫ニ鷺ヲ化シテ鴉ト為スノ弁ヲ將テ     三百論ジ来ル八百ノ嘘 明治期の狂詩集4

銅脈先生

投稿日時:2014/05/09(金) 08:38

老娼

              銅脈先生

誓莫買老娼, 慰人油如泉。 身代振棒後, 初覺多露懸。


老娼(としま)
                       
   
誓(ちかっ)て 老娼(としま)を 買ふ 莫(なか)れ,
人を慰(たら)して  油 泉の如し。
身代  棒に 振(ふり)て 後,
初めて 覺(おも)ふ  多露に 懸(かか)りしことを。

*****************


※銅脈先生:狂詩家。寶暦二年(1752年)~享和元年(1801年)。江戸時代後期の京都の人。本名は畠中頼母。号して觀斎。銅脈先生、滅方海、太平館主人、片屈道人などと狂号した。これら狂詩の用語は、日本語の語彙を漢語風語法で、配列させて作っている。押韻はしているが、平仄には拘っていない。

※老娼:としまの娼婦。この作品は『太平遺響』卷三にある。

※誓莫買老娼:年増の女性は、絶対に買ってはいけない。 ・誓莫:絶対に……するな。 ・誓:誓って。 ・莫:な。なかれ。禁止。 ・買:買う。ここでは娼婦を買うこと。 ・老娼:としまの遊び女。年嵩の女性の遊女。

※慰人油如泉:人をたらして、油は泉の如く湧き出る。 ・慰人:人をたらす。男性を愉しませる。 ・油:滑らかな状態。 ・如泉:湧き出るようである。

※身代振棒後:家の財産を使い果たした後。 ・身代:財産。 ・振棒:棒に振る。無駄にしてしまう。駄目にしてしまう。 ・後:あと。

※初覺多露懸:やっと「多露」病に罹っているのが分かった。 ・初覺:やっと分かった。初めてわかった。 ・多露:性病名か。 ・懸:かかる。病気になる。罹患する。


◎ 構成について

韻式は「AA」。韻脚は「泉懸」で、平水韻下平一先。次の平仄は、この作品のもの。

●●●●◎,
●○○○○。(韻)
○●●●●,
●●○●○。(韻)

江戸の漢詩

投稿日時:2014/05/09(金) 08:26

江戸の漢詩


古文辞から狂詩
「屁臭(へくさい)」…大田南畝の狂詩。
 江戸時代中期から後期にかけて活躍した文人大田南畝の狂詩です。

「屁臭(へくさい)」

一夕飲燗曝(いっせきかんざましをのむ)

便為腹張客(すなはちはらはりのきゃくとなる)

不知透屁音(しらずすかしべのおと)

但有遺矢跡(ただうんこのあとあり)

※燗曝(かんざまし)=燗をしたものの、冷めてしまった酒。

※矢=屎、糞便。「遺矢(いし)」で糞尿をもらす意。

意訳:ある日の夕方、“かんざまし”の酒を飲んだら、お腹が張って具合が悪くなった。そこで音も無くスカシ屁をしたつもりが…、気づいたらウンコの跡があった。

 この作品の元になった詩が唐詩選にあります。裴迪(はいてき)の「鹿柴」です。

ーーーーー

「鹿柴(ろくさい)」

日夕見寒山(にっせきかんざんをみる)

便為独往客(すなはちどくおうのきゃくとなる)

不知松林事(しらずしょうりんのこと)

但有麏?跡(ただきんかのあとあり)

※麏?(きんか)=鹿の類。

(意訳)夕方、殺風景な山を見て、じっとしていられなくなって独り山中に分け入った。松林に何があるのか知らないが…、気づいたら鹿の足跡があった。

 これはまた、なんとすばらしいパロディでしょう!(笑) 両方を比べてみて、思わず感動せずにはいられません!

 裴迪の詩の韻律、リズムを生かしているのはもちろんのこと、「鹿柴(ろくさい)」を「屁臭(へくさい)」、「寒山(かんざん)」を「燗曝(かんざまし)」と、読み下したときにもきっちりシャレになっています。元詩の「麏?(きんか)」を「遺矢」に変えて「うんこ」と読ませているところなんか最高です。

 大田南畝全集によると、この詩には添え書きがあります。

○西の町のかへり、とうの芋でかんざましをのみ、途中の勝負少々利運をゑて、壱分の女郎を買に、二朱ほどの飯をくひ、腹のいゝあまりにうら心があり、かいばなしにはせんきのせいやら一すかしすかしければ、どうせうね、うんこの跡あり。

 ハハハ…、『どうしようね』って言われてもねぇ。うんこの跡は拭くしかないんじゃないのー(大笑い)

ーーーーー

 大田南畝(蜀山人・寝惚先生・四方赤良など多数の号あり)は狂歌師、戯作者として有名なほか、狂詩にも文才を発揮しています。特に下ネタや色ネタにおもしろい作品が多いのですが、時代背景の違いもあって解釈するのは難しく、私にはわかったようでわからないものばかりでした。この詩はすこぶるわかりやすくて笑えます。

※参考:大田南畝全集巻1(岩波書店刊)
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