法学研究(民法家族法を中心として)
民法772条の嫡出推定の気になる記事 [法学研究(民法家族法を中心として)]
投稿日時:2014/10/31(金) 07:59
民法772条の嫡出推定の気になる記事。
http://biz-journal.jp/2014/09/post_5973.html より転載。
戸籍上の父は性行為の日で決まる?DNA鑑定のみで親子関係を決められないワケ 文=江端智一
筆者提供
こんにちは。江端智一です。
今回のテーマとしては
・性同一性障害の施術で女性から男性になった人は、法律上および血縁上の父親になれるか?
・男性から女性になった人は、赤ちゃんを産むことができるか?
という2点について、最近の裁判例と、iPS細胞などの技術的観点からお話ししたいと思っていました。
しかし、調べているうちに、この問題を理解するためには、どうしても民法772条の「嫡出の推定」を深く理解する必要があることがわかってきました。そこで、いったん「性同一性障害」から離れて、この法律の内容と、併せてその法律によって生じる「300日問題」についてお話ししたいと思います。
●民法における父の推定
「血は水よりも濃い」「産みの親より育ての親」、この2つのことわざは矛盾していますが、私たちはケースに応じて使い分けます。これは、司法の判断においても同じようです。
最近は、ここにDNA鑑定という、生物学的な親子関係を確定する技術が登場してきたことで、問題をさらにややこしいものにしています。
「親子」を定義することは大変難しいのです。実際に民法を読んでみますと、この難しさがよくわかります。
第772条には、次のように規定されています。
第1項 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
江端解釈「結婚中に妻が妊娠した場合、その子どもの血縁上の父がどこの誰であろうとも、今結婚している夫の子として戸籍に記載する。文句があるなら訴えを起こして取り消しなさい」
「推定」とは、「暫定的に、そうしておく」ことで、「訴えを起こせば、ひっくり返せる可能性がある」という意味の法律用語です。母が出産によって確定的に決まるのに対して、子どもを生む能力のない父の身分は不安定なのです。
第2項 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
江端解釈「結婚後200日を経過する前に生まれた子の父親は、今結婚している夫の子としては戸籍に記載しない。文句があるなら、夫はその子どもを認知しなさい。離婚後、300日を経過する前に生まれた子どもの父親は、今、誰と結婚していようとも、前夫として戸籍に記載する。文句があるなら訴えを起こして取り消しなさい」
これが、いわゆる「300日問題」の原因になっています。
「推定される」「推定されない」の2つ以外にも、「推定が及ばない」という状態もあります。これは、事実上離婚状態で性的関係がまったくなかった、DNAで親子関係を否定する検査結果がある、夫が長期海外出張中または服役中などの場合は、772条の要件にピッタリ当てはまっても、推定を受けない場合があります。
それにしても、昔ならともかく、夫の子についてもDNA鑑定の事実だけで確定してもいいのではないかとは思いませんか?
ところが、DNA鑑定だけに頼ると困ったことが起こるのです。
仮に、上記の推定がないとすると、いつでも誰でも、法律上の父子関係を否定できてしまいます。例えば、ある資産家が死亡した後に、その遺産を相続する子どもが、親戚からDNA鑑定を強要され、血縁上の親子でないことが確定すると、いきなり相続人の身分を失うことになります。これは、現状の我が国の家族や相続などの制度を根底から揺がせることになります。
また、このような父子関係に対する疑いを、いつでも誰でも申し立てることができるとすれば、その家庭の中の、特にその子どもの平穏とプライバシーは、風前の灯です。
従って、父親とされた推定をひっくり返すためには、単なる届け出では足りず、以下のような訴えや調停を行うことが必要になります。
(1)戸籍上の父から、子または母への「自分の子ではない」という否認手続(嫡出否認の手続き)によるもの。「推定される」場合に使える手段で、さらに子の出生から1年以内という制限があります。
(2)子、母、血縁上の父、利害関係人から、戸籍上の父または子への「親子ではない」ことを確認する手続(親子関係不在確認の手続き)によるもの。こちらは、「推定されない場合」に、いつでもできるようです。
●300日問題対策
さて、ここから、300日問題の話に入ります。
300日問題は、離婚後300日以内に生まれた子の父親が血縁関係にかかわらず元夫となることで、それを避けるために母親が戸籍上の手続きを取らず、無戸籍の子どもが生じるなどの問題を指します。
先述したように、離婚後300日以内に生まれた子は、母が再婚した夫の血縁上の子であっても(DNA鑑定の結果がどうであろうが)、離婚前の元夫の子として戸籍に登録されてしまいます。たとえ元夫が、「その子、俺の子でなくてもいいよ」と言ってもダメなのです。当事者の合意だけでは、戸籍の内容を変更することはできません。
しかし、元夫が調停または裁判で、「元妻とは、家庭内別居状態だった」などと証明し「推定が及ばない」ことを主張すれば、元夫を父とする推定を覆せる可能性はあります 。
それでは、なぜ300日問題は発生するのでしょうか?
それは、その問題解決に元夫の協力が必要となるからです。
300日問題は、基本的に離婚とセットで発生します。そして離婚は、多くの場合、夫婦間の関係が最悪の状態で破綻することを意味します。そんな相手に協力を求めることは、酷というものです。
そして、この問題を発生させている原因の多くは、家庭内暴力(DV)を振るっていた元夫を恐れて協力を求めないことにあるのです。このようなDV元夫との離婚は、裁判所命令によって成立することが多く、DV元夫が離婚に納得していないケースも多いのです。凶暴な元夫に、自分と子の所在が知られるような協力を求めることは自殺的行為といえるでしょう。
つまり、母親は子と自分の命を守るために、出生届を出すことができず、子は無戸籍となってしまいます。
無戸籍の子は、住民票も作成されません(自治体によっては発行されるケースもあるようですが)ので、小学校や中学校への就学案内が届かず、入学できない恐れがあります。大人になっても運転免許やパスポートが取得できません。印鑑登録ができず、婚姻届も受理されません。銀行口座もつくれず、携帯電話も自分では契約できません。死亡届も受理されません。生まれてから死ぬまで、自分が存在していることを公的に証明する手段がないため、多くの行政サービスを受けられないのです。
この300日問題を平和に解決するのは、凶暴な元夫が死亡するのをひたすら祈って待つしかないのが実情です。
このような状況を鑑みて、法務省は2007年5月より、300日問題に限って、医師が「生まれた子は前夫と離婚後に懐妊した」との診断書を添付することで、離婚後300日以内に生まれた子(成人も含む)であっても、再婚後の夫を父とする出生届を認めるとしました。
生々しい話で恐縮ですが、「どの日の性行為でできた子か」を厳密に調べて、それが離婚成立日の前か後かで、戸籍上の父親が切り替わる、ということです。離婚成立前に、配偶者以外の人とのエッチを、どこで、何度しようとも、ここでは問題にはなりません(不貞行為にはなるでしょうが)。問題は「妊娠したのは、どの日の性行為か?」という、その一点のみに集約されます。
離婚成立日前の性行為による子どもである場合は、たとえ再婚後の夫との血縁上の子であったとしても、これまでと変わらず、戸籍上は元夫の子のまま、ということになります。
それにしても、「『どの日の性行為でできた子か』を、調べることなどできるのか」と疑問に思い、調べてみました。そして、なんとか以下の一枚の絵をつくりました。
一般的には、最後の生理の日から14日目くらいを「X日」とします。生理の周期(一般的には28日前後)のちょうど半分の日くらいから導かれているのだろうと思います。ところが、生理が不順な人には、この一般的な推定では不確実ですし、本人の主張だけでは証拠になりません。
そこで、妊娠8~11週頃に行われる、超音波検査の胎児の体長(頭殿長)で、X日を推定します。この頭殿長は、その胎児の違いに関係なく、概ね同じ値になるもので、かなり正確に(誤差1日単位)妊娠0週を推定できます。そして、これに14日を足したものをX日として、その前後14日間、つまり28日間のどこかが、妊娠した性行為日であると判断するのです。
その期間の最初の日が離婚の日後であれば、晴れて「推定が及ばない」ことになり、元夫の協力なしで再婚後の夫を父とする嫡出子出生届出が可能となります。
しかし、実際に計算してみてわかったのですが、この方式で300日問題から救済される人は、かなり少ないと思います。最終月経の第1日目を「妊娠0日」として280日目が出産予定日となるわけですから、「離婚後に妊娠、かつ離婚後300日以内に出産」という条件を満たすことは多くないでしょう。従って、この改正による主な救済対象は、低出生体重児、または早産児のケースといえます。
そこで、さらに法務省は08年6月、離婚後300日以内に生まれた子でも、再婚後の夫の子であると証明できる場合は再婚後の夫の子とする出生届を受理するという通達を出しました。「認知調停」です。すなわち、元夫の子を妊娠する可能性がないことを証明する書類を提出すれば、再婚後の夫の子と認めるというものです。
この調停が成立すれば、元夫の協力なしで再婚後の夫の実子として戸籍に記載されることになります。ただし「妻が元夫の子を妊娠する可能性のないことが『客観的に明白である』こと」を証明する必要があります。
しかし、ここで、私ははたと考え込んでしまいました。
「客観的に明白である」とは、どういうことなのだろうか?
離婚前に元夫と同居しつつ、別の男性(後の夫)と肉体関係があった場合は、元夫の子を妊娠する可能性を完全には否定できず、「客観的に明白である」ことにはなりません。しかし、DNA鑑定を行い、元夫の子でないことが判明すれば、それは「客観的に明白である」事実になります。
「客観的に明白である」か否かを判断するのは、裁判官でも難しいのではないかと思い、調べてみました。
その結果、案の定彼らにとっても本当に難しいことがわかりました。それは次回にお話しします。
●まとめ
では、今回の内容をまとめます。
今回は、「性同一性障害の施術で女性から男性になった人は、法律上および血縁上の父親になれるか?」を検討する上で、必要となる民法772条について、まるまる一回分を使って説明させていただきました。
(1)母子の関係と異なり、法律上の父子の関係は不安定であるため、法は結婚中に妻が妊娠した場合、その子の血縁上の父が誰であろうとも、今結婚している夫の子と推定して戸籍に記載することにしました。
(2)また、離婚後300日以内に生まれた子についても、その子の血縁上の父が誰であろうとも、離婚前の夫の子と推定して戸籍に記載することにしました。
(3)それを避けるため、母が子の出生届を出さず、無戸籍の子ができてしまうことを300日問題といいます。無戸籍の子は、社会的地位が与えられないまま、生きていかなければなりません。
(4)しかし300日問題は、離婚した元夫の協力が必要となるため、解決に至るのがとても難しく、いくつかの救済措置があるものの、この問題を完全に解消できるわけではありません。
次回こそは、「性同一性障害の施術で女性から男性になった人は、法律上の父親になれるか?」「男性から女性になった人は、赤ちゃんを産むことができるか?」について、お話しさせていただきます。
(文=江端智一)
※なお、図、表、グラフを含んだ完全版は、こちら(http://biz-journal.jp/2014/09/post_5973.html)から、ご覧いただけます。
※本記事へのコメントは、筆者・江端氏HP上の専用コーナー(http://www.kobore.net/gid.html)へお寄せください。
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