徒然日記
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唱歌・『夏の思い出』
[思い出の歌・唄・詩] 投稿日時:2014/07/01(火) 00:00
唱歌・『夏の思い出』
もうすく夏。この唄は、中学校で習ったような気がする。夏が近づくと、ふと口ずさんでしまいます。
体調が良くなくて、ダラダラしています。原因は暑さだと思う。
[徒然日記] 投稿日時:2014/06/30(月) 13:17
しばらく、日記はお休みでした。
先日来、「体調がすぐれず、何となく体がだるい」ので、ダラダラと過ごしています。
何が原因なのか、考えてみました。
それは、「暑さ」でした。夜は、暑くて寝られないので、クーラーを入れてますが、これが「不調」の原因であろうと考えました。
タイマー設定していますが、少し時間が経つと、寒くて消します。すると、また暑くて、クーラーを入れる。だから、熟睡できずに朝になってしまう。
これから本格的に暑さが続くので、対策をしなくてはならない。
と、言うことで、今日は一日、家で寝ている。
1週間、こんな具合で、過ごしてしまった。
明日から、7月です。気持ちを新たにして、頑張ろうと思ってます。
日記を書かず、娘に叱られるの巻?
[徒然日記] 投稿日時:2014/06/22(日) 22:58
日記が、1週間飛んでまして、娘から叱られます!!
いろいろ、忙しい身ですので(?)、まとめ書きとか、歌に逃げてます。
今日は、日曜スクーリングの最終日でしたので、単位認定試験がありました。
科目は、「プログラミング論」ですが、試験問題の3問目、「フローチャート図」で、ヘタ打ってしまいました。
年取ると、判っているのに「ちょっとした勘違い」が、増えてきます。試験が終わってから、「あっ!j間違えた」と気付くことが多くなりました。そういえば、 昨年の民法「物権法」の試験も、似たような勘違いがありました。だから、「年寄りが学問するのは、厳しいものがある」と今回も落ち込んでます。
今後のスクーリングは、来月7月5.6日(土・日)、12・13日(土・日)の4回で、『不動産登記法』を受講します。
本を買いましたが、高かった。(これまでの最高価格です。)
年金暮らしの老人には、痛い出費です。
まあ、「不動産登記法」は、ど素人ではないので、及第点は取れるでしょう。
さて、明日から、また頑張りま~す。
Ob-La-Di, Ob-La-Da by The Beatles
[思い出の歌・唄・詩] 投稿日時:2014/06/17(火) 23:00
Ob-La-Di, Ob-La-Da by The Beatles
" Beatles"の曲。このコミカルな歌詞とリズムが最高。こんな風に、「人生が続いたら・・・・・」と考えながら聞いている。
この歌詞の面白いところ。
「歌詞の方は市場に勤めるデズモンド・ジョーンズと、バンドで歌手をしているモリーが恋をして結婚する物語を歌ったものである。ただし4番ではなぜかデズモンドとモリーが逆になり、モリーが子供たちと一緒に市場で働き、デズモンドが化粧をしてバンドで歌うという歌詞になっている。これは収録の際ポールが間違って逆に歌ってしまい、録り直そうとしたところジョン・レノンが「この方が面白い」と発言してそのままにしたと言われている」(ウィキペディアより引用)
1:35あたりの歌詞
Happy ever after in the market place
Desmond lets the children lend a hand
Molly stays at home and does her pretty face
And in the evening she’s still singing with the band
2:26あたりの歌詞
Happy ever after in the market place
Molly lets the children lend a hand
Desmond stays at home and does his pretty face
And in the evening she’s a singer with the band
また日記のまとめ書きです。(笑)
[徒然日記] 投稿日時:2014/06/14(土) 12:21
2014/6/11(水)は、関学「日本文学特殊講義」に出席。
今回の講義は、漢詩における「古典」が講義のテーマでした。
明治の文豪が、「江戸期の漢詩」をどう評価しているのかの講義。
例えば、正岡子規は、江戸時代の漢詩人である「菅茶山」の漢詩を好み、その情景を踏まえた俳句を作っている。
※『いくたびも、雪の深さを、尋ねけり』(明治29年 病中雪)
「古代中国魯で、雪が一尺積もると瑞祥として喜んだ」との故事を、菅茶山の漢詩から学び、自己の俳句に用いたと考えられている。
また、永井荷風は、江戸時代の漢詩人である「館柳湾(たち りゅうわん)」を高く評価していたことなど。
菅茶山 ウィキペディアより引用しました。
菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。
経歴
農業・菅波久助の長子として生まれる。茶山が生まれ育った神辺は、山陽道の宿場町として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、京都の那波魯堂に朱子学を学び、和田東郭に古医方を学んだ。京都遊学中には高葛陂の私塾にも通い、与謝蕪村や大典顕常などと邂逅した。
故郷に帰り、1781年(天明元年)頃、神辺(現在の福山市)に私塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開いた。皆が平等に教育を受けることで、貧富によって差別されない社会を作ろうとした。
塾は1796年(寛政8年)には福山藩の郷学として認可され廉塾と名が改められた。茶山は1801年(享和元年)から福山藩の儒官としての知遇を受け、藩校弘道館にも出講した。化政文化期の代表的な詩人として全国的にも知られ、山陽道を往来する文人の多くは廉塾を訪ねたという。詩集『黄葉夕陽村舎詩』が刷られている。(復刻版は葦陽文化研究会編、児島書店、1981年(昭和56年))
廉塾の門人には、頼山陽・北条霞亭など多数。墓所は神辺網付谷にある。
「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は1953年(昭和28年)に国の特別史跡に指定された。
日本文学特殊講義は、来週1回で終わります。非常に優れた講義でした。
近日に、全部の講義のまとめを行う予定です。
2014/6/12(木)は、『古事記』の関連本の読書。
引き続き、「古事記の文字世界」という本を読む。
色々と考えながら、ノートを取りながらの読書で、遅々として進まず、大学図書館に、貸出延長手続きを取りました。
2014/6/13(金)は、「年金生活者」の開始日です。
今日、初めての年金支給日でした。
いよいよ今日から、「年金生活」が始まります。
年間支給額は、現役時代の五分の一くらいですがから、厳しい生活をすることとなります。
併せて、市県民税も納税通知がきましたが、年金の2か月分越えの課税額でした。
まあ、しょうがないので、ボチボチやって行きます。
なお、午後からは、「日本書誌学」の講義に出席。
崩し字の2回目に挑戦しました。
この講義のまとめも、近いうちにやらなければ。
例によって、娘と一緒に大学へ行きました。「昼ごはん」は払ってくれたのですが、「コンタクトレンズ代」と「タクシー代(大学⇒西北)」は、負担させられました。(涙)
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